映画「パリよ、永遠に」に見る対話

『交渉術』を著したロジャー・フィッシャーに師事した方に、「『交渉』とは、相対する二者以外に、第三者の視点からもその結果が妥当であるとみなされるものであらねばならない」と教わったことがある。
よく話してみなければ、真に相手が求めることはわからない。

というのは、一方が必要とするのがパンの耳、もう一方が白い部分など、互いの利害(interest)が調整可能な場合もあるためだという。交渉が必要な理由は、双方が柔らかな白い部分を望むからだとばかり思っていた。

人命にかかわる場合を除いて、思い浮かぶ「交渉」の多くは、「金銭」や「時間」など、双方が自分の利害に固執して譲らない状態からスタートし、許容できる範囲の「妥協」で終結するイメージがあった。「パリよ、永遠に」は、戦時の二人の人物の間に繰り広げられる交渉の過程をたどる物語である。最後には、相対する二者だけでなく、全世界が深く納得できる見事な結論が導かれる。

1944年、パリを占領中のドイツ軍の将軍が、「パリの街に爆弾をしかけて吹き飛ばせ」というヒトラーの命令を受ける。まさに実行に移すばかりの時、現われたスウェーデン人の外交官の説得によって、事態を回避した、そのやりとりが映画になっている。オリジナルは同じ俳優どうしによる舞台劇であるという。

ドイツ人の将軍の滞在するホテルの一室に、どこからともなく見知らぬ男が笑顔で登場する。その部屋のからくりも面白いが、饒舌なこの珍客は、名乗ったあともやはり謎めいている。やがて来訪の目的が告げられ、ある手紙が将軍に手渡される。ドイツ軍には勝ち目のない戦況で、降伏を促す内容が連合軍から届くのだ。即刻却下される。

この中立国の外交官は、明らかに連合軍の回し者にちがいない。しかし彼は、「自分は個人としてここに来た」と言う。なぜなら,美しいパリの街を守ることは自分の心からの望みであるのだから。

ノートルダム寺院もオペラ座もエッフェル塔も、ルーブル美術館も、こなごなにするのは,数十分で事足りる。しかし、何年か後にその美を楽しむ人々のために、何としても残すべき価値のある風景なのだ。
その言葉を証明するかのように、繰り返しパリの街が映像にとらえられる。

しかし,この程度の言葉で将軍の心は動かない。かたくなに「お引き取りを願おう」と繰り返す。自分は、命令通り、パリの街を破壊するのであると。

外交官は、部屋の壁にかかる絵を見て「あなたはアブラハムか」と将軍を激しくなじる。神の命令とあらば息子を殺すのか。かと思えば、「あなたに子どもはいるか」と弱い部分を突いてゆさぶりをかける。さらには、「見る目がなかった。あなたのことも自分のことも」と、今度は自分の弱さを見せ、あらゆる角度から攻め込んでいく。

何を言われようと、ドイツ人の将軍は、ヒトラーからの命令には絶対服従するよりほかない。それが彼の立場であり役割であるからだ。爆破部隊に連絡をすると、邪魔が入って計画の進行が妨げられていることを知る。このあたりから、交渉する気のなかった相手への見方が変わる。明らかにこの男は何かを握っている。どこまで知っているのか、確かめねばならない。

相手の態度が変わると見るや、外交官はまた少し攻め方を変える。刻々と変化するせめぎ合いのさまは実に見ごたえがある。ひとつの部屋にいて、ただひとつ言葉だけを道具に主張し合い、互いに影響を与え合う。ある種のゲームを見ているようでもある。

将軍とて、下された命令の無意味さはよくわかっている。しかし、彼はある事情によりそれを実行せざるをえない。それを、交渉相手にポロリと話す。「君ならどうするのだ?」と。

彼がはじめ主張していたインタレストは、本当のものではない。それが、時間とともに薄皮を剥ぐように中から表れ出てくる。そこを外交官は察知して、ゆさぶりをかける。つまり、交渉を試みたからこそ、真のインタレストが明らかになってきたのだ。

そのあとのスピーディな展開は鮮やかだ。外交官は、終始誠実な態度でまちがいなく成功する作戦を提示する。それは、将軍の最も懸念することを見事に解決した上で、パリの街を守ることにもなる。

もとより命令に従うことに乗り気でなかった将軍は、対話の中で芽生えた見知らぬ相手への信頼に望みをたくし、彼の提案を受け入れる。

「なぜ私を救いに来た?」と、将軍が尋ねるシーンがある。交渉相手が自分を救ってくれる存在だと感じるまでに彼の心は動かされた。むしろ、救われたかったと彼が願っていたことがこの台詞で明かされるようにも見える。敵側としか思えない人間が実際には自分を救う。ありえないことのようだが、相手の出方次第で物事が大きく動くとき、交渉の場では案外このような心理が働くこともあるかもしれない。

しかし、実際には、将軍の思惑とは異なる終結に至る。つまりは、外交官および連合軍側からすれば、はじめから決定されていたゴールに落ち着いたことになる。

これはしかし騙したのではなく、さまざまな点において、やはり救いだったのだと思う。将軍の名誉も家族も守られ、のちに彼には勲章が贈られる。両者ともに勇敢であった。互いのインタレストをきちんと守ることができたという意味で、歴史に残る立派な交渉が、粘り強い対話によって行われたのだ。

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「詩とメルヘン」とやなせさん

姉が買ってきた「詩とメルヘン」は、夢のような雑誌だった。

見たこともないくらい大判で、表紙には鮮やかなイラストが描かれていた。巻頭の言葉は、最後の一行が「ところであなたは買いますか?」で終わることに決まっていた。回を重ねるごとに、「ところであなたは……」と、みなまでいわなくなったのがおもしろく、姉が買わなくなってからも、毎月楽しみに買っては読んだ。

ちょっと素人くさくてあまり上手ではない詩もよく取り上げられた。うまくないところになんともいえない味があり、心に残った。

昨年、やなせさんが亡くなられ、今年になってから『だれでも詩人になれる本』を懐かしく読んだ。印象深かった菅野さんの「お地蔵さま」という詩は、どこかの同人誌で発見したものを、頼んで自身の雑誌にとったものだというエピソードを知った。その詩がよけいに好きになった。

何も知らない頃に出会う先生は大切だ。詩は、難解なのがいいとはかぎらない。下手でも自分の言葉で語るのがいいというやなせさんの影響で、借りてきた言葉を無理に使う必要はないと思うようになった。それに童話をたくさん読んで大きくなった子は、人の見かけにだまされない。カエルが姿を変えた王子だったり、浮浪者の背中から羽根がはえてくることはよくある。その分現実的な損得勘定は不得手かもしれないが、生きる上ではささいなことだ。

「詩とメルヘン」で、プレヴェールやアポリネールを知り、八木重吉や石垣りん、高田敏子の詩と出会い、安房直子の童話、味戸ケイ子の少し気味の悪いような幻想的な絵、東くんぺいの切り絵と魔法ばなしを知った。阿久悠や井上陽水の特集についていたさびしげな女性の絵では、いつもの漫画とは全然ちがうイラストレーターやなせたかしに触れた。

早逝した詩人のブッシュ孝子の『白い馬』にある「凡人なる凡人は」という少しユーモラスな詩は、とくに私のお気に入りだった。

凡人なる凡人は

凡人なる凡人は 自分が凡人ではないと思っている人
非凡なる凡人は 自分が凡人であると知っている人
非凡なる非凡人は 自分が非凡であると知っている人
凡人なる非凡人は 自分が凡人であると思おうとしている人
この順に数は少なくなる

言葉は、いくらたくさん頭に入れても、ちっともかさばることのない荷物である。散歩途中の風景で、好きな俳句や短歌を思い出すと、一日きげんよく過ごせる。

寒い日には寒い日の言葉、雨の日には雨の日の言葉が、いつでも口をついて出るように、どんな日もきげんのよい日になるように、まだまだ仕込みは欠かせない。

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プロの医師、プロの言葉

医学部に基礎と臨床のあることも知らなかった頃、小さな出版社で最初に仕事をしたのは、解剖や免疫の先生だった。新潟発の「ミクロスコピア」の編集を手伝って基礎の先生方とご縁ができた。ミ誌は、藤田恒夫先生(故人)がすみずみまで目を通して丁寧につくられた科学雑誌で、研究の楽しさや感動がいたるところに散りばめられていた。根っから丈夫な私は、公私ともに臨床の医師とあまり縁がなかった。

学術もの以外で臨床の先生とつくった本は、司馬理英子先生の訳された『へんてこな贈り物』が最初だった。発達障害のひとつである注意欠陥・多動性障害(ADHD)について書かれたこの本は、アメリカでいまだにバイブルのように売れ続けている。
「この本はどうしても訳さなければいけないんです」と先生が熱く語ったのは、もうずいぶん前のことになった。

続いて、当時東京女子医大で500人の摂食障害患者を治療していた鈴木眞理先生の『乙女心と拒食症』をつくった。何でもないことから深刻な病気に陥ることは知らなかった。丁寧に患者さんを診つづけたまり先生ならではのリアルで実践的なこの本を発端に、精力的に著作を発表されることとなり、診療した患者数はすでに千人に達した。家族や患者さんを対象にした講演に先生を追っかけて行って聞いた言葉は、「食べてくれるならゼリーでもアイスクリームでも何でもいいの。そう言ったらみんな私のこと、ヤブだと思ったでしょ!」(会場で素直に「はい」とうなずいたお母さんがいた)。
代替医療についても偏見なく、「効果のあるものはよい」といった柔軟な姿勢をとられるのは、経験上いろんなものやことが効くことを知っているためだろう。

本は不思議とひとり歩きして誰かを連れてくる。尼崎の横田直美先生から『乙女心と拒食症』について好意的な読者カードが届いたご縁で、3年後に『乙女セラピー』という本ができた。驚くほど博識な先生のやや遊び心の勝った読み物だ。軽やかさの裏で、直美先生の主催する阪神女医ネットでは、テーマを決めて科を超えた実践的で真摯な探究がなされていた。一度見学した際、プロは常に勉強を怠らないのだと、背筋が伸びる思いがした。

日笠久美先生銀あんず先生はじめ何人もの素敵な女性医師を知った。ある方が「患者さんってすごいよね」と言われたときは、謙虚さもまたプロのプロたるゆえんかと、さらに感心してしまった。その後の仕事を通じて出会った医師の中には威張っている人もいたが、そのようなプライドと、私の知っている女性医師たちのプライドは、まったく種類の異なるものだった。

専門的な医学の書籍は、何十人もの分担執筆で事実のみ伝達する類のものが多い。そのため誰が書いても変わり映えしない。専門的なことを書いて面白いのは、断然単著の本である。精神科の中井久夫先生や心理学者の國分康孝先生の本など、30年を超えてなお多くの人に読まれ続けている。書き手がどういう姿勢で診療に臨んでいるかが明確で、専門家としての考えがよくわかるとともに、一般人が読んでも十分に面白い。著者の魅力を強く感じるためである。

編集だけ担当してお目にかかってはいない山本章先生(尼崎の老人福祉施設ブルーベリーの院長)の『経験から科学する老年医療』『経験から学ぶ老年医療』(いずれも中外医学社)も、広く一般に読まれないのが惜しまれる本である。高齢者施設の感染症、薬の功罪、コレステロールへの誤解、プラセボや祈りの効果まで、実臨床の経験と相当数の文献や新刊本も読みこなしたうえで、きわめて説得力ある論が展開されている。総合診療医育成の重要性もこの方の本で知った。

面白くて手帳にメモしたフレーズがいくつか。
「太れるものは幸いなり(肥満学会で発言して顰蹙を買った言葉)」
「インパクトのあるキャッチフレーズに弱い(哲学的思考のない)アメリカ人の気質」
「(看護教育について)critical というのは他人に向けられがちであるが、reflectionは内省、熟慮で自分の中で深く考えることである。……批判のかなりの部分が医師に向けられがちではあるが、彼女ら、彼らが医師と対等の立場に立つときには2つの『そうぞうりょく(想像力と想像力)』に基づく行動が自らの地位を高める重要な要素となることを、医師も看護師も認識して、教育に力を注ぐべきであろう」

まともな医師は平静だ。なぜなら彼らはプロだからである。目の前のことを論理的に説明し分析することなど造作もない。ただ、プロの医師は忙しすぎ、各所への気遣いもあって、自分の意見をあまり口にしない。医師の手による過激な医療本に疑問を感じても、わざわざそれを文字にすることもない。しかし、まともな人のまともな言葉が聞きたい。しごく淡々とプロの仕事をする腕利きの医師こそ、もっと語るべきである。そう思って、横田直美先生と日笠久美先生に寄稿をお願いした。

久美先生の「何でも診る科」という表現にプロの矜持を強く感じる。多くの医師が「自分だって何でも診る」と言うかもしれないが、たまに診療所を留守にするときも、とくに悪化する患者さんが出ない久美先生の「でき」のしあがりは、きっとちがうはずだ。「時代がようやくわれわれに追いついてきた」という言葉は、山本先生の「総合的視野を欠いた専門分化は正しい医療を損なう」とぴったり符合して爽快である。ホリスティックな視点があるのだ。

直美先生の病気体験にはまだ続きがある。せっかく重病になった機会を無駄にはしないところもまたプロである。一度「医師という仕事をなぜ続けているのか」、と尋ねたことがある。ひとこと「人間の不思議」と答えた。その不思議を前にして、ただひたすら謙虚に学び、病気という現象を通じて常に人間について考えている。こんな方々の言葉を、少しずつでも残していけばどんなにか人の役に立つことかと思う。

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居場所の〈いのち〉の話――「場の研究所」勉強会に参加して

昨日は、場の研究所の勉強会だった。もう一年以上、月一回のこの会の隅っこに坐らせていただき、何をするでもなく、いろいろな話に耳を傾けてきた。自分の内面にいろんな言葉やイメージが浮かぶ貴重な時間である。

居場所という言葉に、何のわだかまりもない人もいれば、そうでない人もいると思う。社会にうまく適応できないでいる人や、ほかの人とのコミュニケーションがうまくいかない人の多くには、安心して身を置く居場所がない。それが病の元凶であるから、医者や薬では治らない。私自身、会社という居場所のために長年身を挺して働き、その状況が自分を生かしたとは思うものの、その居場所を離れて以来、考えることは多い。

独創的な生命哲学者である清水博先生は、「場の理論」の提唱者である。こんなにわかりやすい話は、今の時代にもっと広まっていいはずなのに、誰もが「場」の概念なしに「我が我が」と生きているためか、あまり顧みられていないことがとても残念だ。福島で原発の被害に苦しんでいる人たちには、身につまされる話であるという。

演劇をやっている友達に、「場」の話は、すぐに通じた。彼らは、ひとりひとりがしっかりと役割を果たしつつも、舞台という共有の「場」に、惜しげもなく自分を捧げて、それによって自分がエネルギーを受け取っていることを、身をもって知っているからだ。それは、卵の黄身と白身の関係に似ている。

ボウルにいくつかの卵を割り入れてみる。黄身は、尊重されるべきひとりひとりの個性である。ただ、黄身だけでは生きていくことができず、互いの白身を混ぜ合わせて、ほかの卵の〈いのち〉とつながり、その「場」の中で、より生き生きと卵としての〈いのち〉を発揚できる。家庭もしかり、組織もしかり。自分の〈いのち〉をどこかへ分け与えたら減るのではないか、と身構えるようなけちんぼは、その黄身もしょぼくれていることが多い。子どもを育てる母親は、自分を子どもに食べさせて育てているというのに。

この「卵モデル」で考えると、家族が、常に賑やかに言葉を交わさないとしても、同じ屋根の下に暮らすということが、どれほど意味のあることかがよくわかる。故郷に妻と三人の子を残し、東京で50日も出稼ぎのようにホテル住まいの人がいる。家族のためのその生活が、仕事を終えて戻った部屋でひとりになると、しみじみと身にこたえ、次第に自分がおかしくなっていくのがわかる。仕事がうまくいかないときなどはなおさらで、夜眠るのが怖い。妻に電話をすると少しは心が安らぐが、生きている意味がわからなくなる気がする時がある。いつ死んでもいいなどとも思えてくる。

それではいけないと、家族五人でひとつの部屋に眠った。話すわけでも何をするわけでもないのに、それで正気を取り戻し、また仕事に行く気力が出てきた。家ではなく、その居場所をつくる家族という場の〈いのち〉、豊かな白身が、ひとりの人の〈いのち〉を救って、人が居場所に生かされているということの、わかりやすい例だと思う。〈いのち〉には、そんな二重の形態があるようだ。逆に、居場所の調子が悪いと、そこで働く人も不調だ。ノルマ偏重で余裕のない職場にいる人の顔は暗い。むしろ居場所が人のエネルギーを奪う。居場所と人と、どちらもハッピーである時、健やかに生きていくことができる。

現代の病気の多くが、そのような〈いのち〉の病ではないかという清水先生の説には、同感である。認知症、うつ病、摂食障害など、心を許して話せる家族や友人がいれば、もしかしたら発症しないかもしれないし、治りやすいかもしれない。認知症の問題行動などで、そんな指摘もある。それを知って、「場」づくりを重視する治療家や援助職の人もたくさんいて、効果を上げている。

状況は、頭でなく、まず腹で受け止めるのが先でなければならない。科学だの心理学だの脳だのを信奉する人は、頭や言葉が先行しすぎる。まず理解することが科学的態度だと思い込んでいても、そんなに何でも簡単に理解できるのだろうか。あまりに重い苦難を背負った人を前にしたら、誰でも言葉を失い、ただ、受け止めることしかできないというのが、本当ではないだろうか。評価も判断もない。そのまま、それを受け止めてはじめて、時間をかけて理解していく。その順番の何もまちがってはいないと思う。

最近読んでいるシステマの本に、素晴らしい言葉が載っている。
――脳の役割は、身体をコントロールすることではない。身体に何が起きているのか、情報を受け取り分析することだ。(ヴラディミア・ヴァシリエフ)*

身体という無意識の声をしっかり聴いて、脳をもっと休めてみればよい。勉強などしないで、深呼吸して体操をすればよい。考えるより、感じることで、人はもっと豊かになれるように思う。

*北川貴英:人はなぜ突然怒りだすのか, p.39, 2013, イーストプレス

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映画「かみさまとのやくそく」を観て考えたこと

渋谷のアップリンクでこの映画を観たのは、まだ寒い2月のこと。午前10時の回ぎりぎりに出かけた一度目は、満席で断念。5日後、二度目のトライで、なんとか観ることができた。

かみさまとやくそくしたのは、誰だろう? それは、生まれてくる子どもである。何をやくそくしたの? 自分の使命を果たすことである。子どもは、自分で選んだ親のもとに生まれてくる――そういう話を何年も前に聞いたことがあった。苦労の多い複雑な家庭でもそうなのだろうか。その答えをこの映画が明かしている。

方法はいたってシンプルで、生まれてくる前の記憶をもつ子どもたちのインタビューをもとにして、ひとつの仮説を提示している。『ママのおなかをえらんできたよ』(リヨン社)などの著書をもつ医師の池川明氏は、胎内にいた時や生まれる前のことを語る何人もの子どもたちに話を聞いている。北海道から沖縄まで、その全員が口をそろえ、「自分はお母さんを助けるために、自分でお母さんを選んで生まれてきた」と語る。

前日に観た村上和雄さんのドキュメンタリー映画「SWITCH」では、「いのちの親」の話が出てきた。親のない人はおらず、その親にも親がおり、という具合にさかのぼった先には、一番おおもとの「いのちの親」という存在がある。親の願いはただひとつ。子どもの幸せである。それと同じに、子どもも本来親の幸せを望んで、自分をこの世に送り出しているらしいのだ。

下記の絵は、生まれる前に自分のいた場所を、ひとりの子どもが描いたものだ。大仏のようなかみさまがいる天国には、たくさんの赤ちゃんがいて、大きなテレビがある。そのテレビに映し出されたおかあさんを見て、その人のところに行きたいと思った子は、そこへ通じたすべり台に乗って、するするとおなかの中に入るのだという。ある保育園では、子どもどうしが、生まれる前はこうだったよね、などと世間話をしている光景もあるそうだ。

kamisama
映画には、ふたりの男の子がいずれも天国のことを覚えているという母親が登場した。そのうちのひとりには、ドイツでの前世の記憶があり、ボタンのついた衣服を怖がって着ない。理由は、ナチスの収容所で軍服を着た男におさえつけられ、窒息させられたとき、目の前にあったのがボタンだったためだ。「収容監」などと、幼い子が知っているはずのない言葉も口にする。その上の子どもは、母親が出産前に住んでいた住まいのことも知っている。胎内からは、へそを通して外の景色が見え、衣服は関係がないようだ。

女性にとっての妊娠と出産には、さまざまな思いがつきまとう。何の問題もなく幸せに健康な子どもを授かる人もいれば、苦労して子どもを育てなければならない人もいる。その一大事を、生まれてくる子どもの意志が成立させているという話を、救いのように聞く人もいれば、信じたくない人もいるかもしれない。

それでも、赤ちゃんを見れば、言葉を話さなくても、何でもわかっているような賢い顔をしている。「赤ちゃんは天才だ」と言ったのは、ソニーの創業者の故・井深大氏だった。知的障害をもつ娘さんがおられた氏は、幼児の能力開発に力を入れ、鈴木メソードで有名なバイオリンの鈴木慎一氏などとも交流があった。未熟なはずの赤ちゃんの才能は100%であり、成長するにしたがって、それが減っていくという説を、教育熱心な人が英才教育と受け取り、会の方向が混乱した時もあった。能力開発とは、早熟な天才をつくることではないはずだったが。

生物学的に胎内記憶を語るならば、胎児には、前世どころか四十億年も前の記憶がある。ゲーテの系譜を汲むヘッケルが、「個体発生は系統発生を繰り返す」と述べたように、胎児がおなかの中で魚類から爬虫類の姿をたどって進化していることは、解剖学者の三木清の『胎児の世界』でも知られる。よってこの映画は、いわゆる「スピ系の人」などでなく、ごく普通の人にとって興味深い内容である(「スピ系の人」は、「何でも理屈で説明できる教」の信者とよく似て、私も苦手だ)。私自身の身近に、ゼロ歳の時の記憶がある人がおり、胎内記憶のある人がいることから見ても、とくにスピリチュアルに特化しないドキュメンタリーだと思う。

親は子どもを、何もわからない存在と決めつけるのではなく、その声に耳を傾け、その子が本来あるべき姿で生きることを手助けすればそれでいい。時々、よかれと思って一生懸命子どものために何かする母親がいるが、子どもが大きくなって自分の言うことを聞かないと、それが恨みになる。そもそも、その何かを子どもがしてくれと頼んだのでもない。お母さんに幸せになってほしくて生まれている子どもにとっては、何もしてくれなくても、ハッピーな母親のほうがよほど嬉しいのである。

映画には、自身も胎内記憶があり、胎児の通訳ができる「たいわ士」の南川みどりさんという女性も出てくる。まだ自分の思っていることを話せない小さな子どもをあやして、親と仲立ちすることもする。子育ては、母親に大きな不安を与えることの連続である。その母親の気持ちを楽にし、子どもも楽にする大きな役割を果たす人である。彼女は、大人を対象に、自分の中の小さな子どもを両手にすくって、じっと見つめ、会話をするというセラピーも行っている。自分自身をみつめるために、自分の中の子どもをみつめ、その声を聞き、心を楽にしていく人たちの姿が映し出される。

中に、こんな質問もある。虐待を受けて養護院に入る子や、両親が離婚する子どもは、誰を幸せにしているのか。こんなふうに答えていた。養護院の人たちを幸せにしているのかもしれないし、「お父さんは蝉みたいなものだ」と言う子どももいる、と。子どもが幸せにする人の範囲も広いのだろうか。親と縁がなくても、また別の縁をもって、誰かを幸せにするのだろうか。

よくみられることとしては、妊娠中の母親のストレスの強さとお産の苦痛は一致しているという。お母さんがいつも落ち着いていると子どもも安定する。わが子のからだも知能も心も、健康に発達してほしいと、親なら誰もが願うだろう。大きくなるにつれて、願ったようにならない時、「なぜうちの子はこうなんだろう」と、悩むこともあるだろう。それでもその子のペースやリズムを、できるだけ尊重したほうがよい。

三木清の『内臓のはたらきと子どものこころ』(築地書館)に、さくら・さくらんぼ保育園の斎藤公子さんが、排泄について興味深い文章を寄せている。小さな子のオムツがとれて排泄を自立させるために斎藤さんたちがとった方法は、オマルにすわらせ「出るまで待とう」作戦をとったり、国立の能力開発研究所ご推薦のオペラント条件づけで、鳩か犬のように訓練するやり方とは根本的にちがっていた。知的障害があり、四歳でようやく「ママ」が言え、七歳になってもおしっこの自立ができなかった子を、ひとことも叱ることなく、やさしい言葉をかけ、気長に下着を取り換え続けた。この子は、言葉が豊富になってきた頃、あるとき、自然と自立できたという。てまひまがかかる。それが子育てであり、効率や損得とは相容れない世界である。

たいわ士の南川さんは言う。
「子どもが問題だと思うことが問題なんです」
子どもの欠点が目につくとき、親は子どもを自分から切り離している。それでは子どもは幸せにはならない。親がよかれと思って与えるものも、必ずしもその子本来の能力を伸ばすとは限らない。親にできることは、自分の子どもの足らざるを数えず、ただ信じ続け、待ち続けることだけではないか。その心が、子どもを安定させ、その子らしく伸び伸びとさせる。

効率や損得に過剰な価値をおく親には、思惑をみごとにはずれた子どもが生まれることがあるかもしれない。もしそうなら、子どもが親の生き方に対して、あるヒントをくれているにちがいない。親が子どもから教わることは無限である。子どもに起きるできごとを通じて親も成長していくならば、子どもが親を助けるためにこの世に現われるというのは、やはり本当のことなのだと思う。

「かみさまとのやくそく」公式サイト
http://norio-ogikubo.info/

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ボディワーク考(3)――システマ2

システマの呼吸法のワークの前の話も、ひとつひとつ納得のいくものだった。人はふだん自分のからだの動きを、あまり意識しない。意志と無関係に働く自律神経によってコントロールされている内臓の筋肉の働きなどは、まず意識にのぼらない。知らないうちに食べ物は消化され、寝ている間も心臓は動き続け、呼吸も止まることはない。ただし、呼吸だけは、自律神経が支配するからだの動きの中で、唯一意識的にコントロールが可能である。呼吸をコントロールすることで心拍まで止める人がいるそうだ。もっとも、「止めるのは割と簡単で、動かすほうが難しいので気をつけたほうがいい」とのこと。

筋肉の動きで面白いのは、表情筋である。怒った表情では、筋肉も硬直するが、笑顔でいるとリラックスにつながる。ハーバード大学の心理学者ウィリアム・ジェームズの「人は悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」という有名な情動理論は、筋電図が証明するかもしれない。インドでは、ラジオ体操代わりに、早朝に「笑いヨガ」なるものが流行しているらしい。

北川先生は、ホワイトボードに横一本の線を引く。パニックや緊張状態になるラインは、人によってそれほど異なるわけではないという。異なっているのは、各人が平常の状態にあるノーマルラインである。もともと緊張度の高い人のノーマルラインは、パニックのラインとの距離がやや近い。一方、リラックスしている人は、パニックに至るまでにかなり距離のある下の方に平常のラインがある。つまり余裕があるために、すぐにキレることがない。ただし、同じ人でも緊張状態が長く続くと、ノーマルラインは次第に上がっていく。しかも、ストレスは少しずつ溜まるので、自覚できないうちに、疲れやすくイライラしやすい状態に変化してしまうのである。

では、リラックスし、ノーマルラインを下げた状態にあると、どうなるのか。本来の自分の力が発揮できるのである。フィギュアスケートの演技でも、力が入るとうまくいかない。その他のアスリートや武道家、身体芸術にかかわる人、もっと広く一般人も同じである。これを理解するには、位置エネルギーを考えるとよい。高いところから物を落とすと大きな力が生まれるが、低いところからでは力が小さい。これも距離や余裕の問題である。最大限に力を発揮するには、高い集中状態に自分をもっていく前に、十分に深く脱力している必要がある。それがポテンシャルを大きくすることにつながる。

もちろん、心理学でもこのような知識は学ぶことができる。しかし、人間一般の行動の傾向や法則を頭で知ったところで、すべてが法則通りには行かない。例外もある。それよりも、自分を基準として、「このような状況になると、人のからだや心はこうなる」と体感したほうが、類推がきくようになる。やはり、まず自分を知ることが基本であり、からだからのアプローチがわかりやすい。

ゆったり呼吸すると、心身が楽になる。ヨガや太極拳をかじったり、ヨガの伝統的呼吸法であるプラーマーヤナのクラスにも出たことがある。呼吸の方法に種類が多く覚えきれなかったが、浮足立っていたものが下に降りてきたような、気持ちが落ち着く効果があった。

システマの呼吸法は非常にシンプルだ。鼻から吸って、口から吐く。胸式、腹式はあまり関係ない。前に本で読んでびっくりしたのは、背骨を折り、手術ができない状態の人を呼吸とマッサージだけで治したという実話だ*。呼吸が大切と知ってはいても、そこまで威力を持つものとは知らなかった。床に横たわり、息を吸って全身くまなく 緊張させてみる。次に、息を吐いて弛緩する。そのときに、自分のからだがどうなっているか、観察してみる。意外に全身に力を入れているつもりで入りきらないところがあるのに気がつく。やはり自分で自分のからだをあまりよくわかってはいないようだ。

システマの四原則は、①呼吸、②リラックス、③姿勢、④動き続けることで、とくに決まった型も構えもないという。自然な姿勢で立っていると、いろんな力がかかっても耐えられるが、少しでも姿勢が崩れると、途端に弱くなることも、実際にみんなでやってみた。「普通がいいよね」ということらしい。実際の動きは、YouTubeなどで見ることができるが、どんなに攻撃されても、くるりくるりと、なめらかに、のれんか柳のように受け流す。こんな不思議な柔らかい強さもあるのだと知る。リラックスした方が勝ちだが、それほどに脱力はむずかしく高級な技に思える。

「自分がいつも整っていれば、相対的に相手が整わないことになり、勝手に自滅していく。実際に触れなくても、そばにいるだけでラポールが生まれる。不思議なことですが、システマの創始者のミカエルの横にただ立っていた人は、彼が何もしないのに、くずおれて倒れてしまう。実際に見た人にしか信じられないかもしれないけど、そういうことも起きるんです」

この日から、毎日、鼻から吸って口から吐くことを心がけている。胸のあたりでときどき止めているのがわかった。ひっかかりがなくなるまで気長に練習して、のれんの仲間入りを目指そうと思う。

*北川貴英:4つの原則が生む無限の動きと身体 ロシアンマーシャルアーツ システマ入門, p.184, BABジャパン, 2011.

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ボディワーク考(2)――システマ1

3月30日(日)、渋谷にてはじめてロシア武術・システマの入門講座を習う。
講師は北川貴英先生。武道の練習ではなく、ビジネスマンや就活目前の学生を対象とした、リラックス法が主体。お目にかかるのは、おととしの取材以来だ。フェルデンクライスの先生との対談は、抜群に面白かった。

書くのも上手い方だが、話も上手い。淡々と明晰で何より親しみやすい雰囲気が魅力である。雨の中、大遅刻で少し話を聞きそびれたことが悔やまれる。いろんな話と動きを習ったが、結局、自分のからだがどういう時にどう動くか、わかっている人のほうが少ないのではないかという印象を受けた。

それで思い出したのは、「野口体操 からだに貞(き)く」「野口体操 おもさに貞く」を書いた野口三千三さんである。演劇をやっている人ならば誰でも知っている「寝にょろ」や「ぶら下がり」などの体操の考案者であったと思う。「寝にょろ」は、床にあおむけに寝て、全身をさざ波のように波打たせる動きだ。からだは、皮膚で覆われた袋で、体内の水に骨が浮かんでいるというイメージをはじめて知った驚きは忘れない。骨は、からだを支える堅固な建造物のようなものだと思っていたのだ。

テレビに出演された野口さんの言葉も厳しくて面白い。「私はからだが硬いので」と言う人に向かって、「あなたは傲慢だ」と言ったのである。自分の勝手な思いこみで、からだの可能性を限定することを戒めたと同時に、「あなたはそれほど自分のからだを知らないではないか」と投げかけた言葉でもある。実際、からだという無意識の領域を、私たちは、ふだんほとんど顧みることもなく、あって当然、動いて当然、という程度のおおざっぱな理解しかしていない。からだが硬いといったアナウンサーは、たしかその時、本人が驚くような動きをしたはずだ。

システマの講座で面白かったのは、「人は動きを認識できない。認識できるのは姿勢だけ」という指摘だ。だから、インプットが重要になる。正しい姿勢や動きをまずからだに覚えこませる。この日は、胸骨を前後に動かす練習で、何人もの人が先生に背中を押されて自分の胸骨が前進するのを感じ、胸を押されて、ぐっとうしろに引っ込むのを知った。

リラックスすることと、実際にからだを動かし、感じてみることがいかに大きな可能性を生むか、つくづく感じた時間だった。

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いのちがONになるとき――映画「Switch」を観て(下北沢トリウッドにて)

心と遺伝子の研究者・村上和雄さんの話を初めて聴いたのは、もう十年以上も前になる。東京工業大で講演する安保徹先生と食事の約束がてら出かけたら、そこに不思議な話をする人がいたのだ。村上さんは、高血圧に関連する酵素レニンの遺伝子解読に成功したとして世界的に有名な方だ。昨秋は、「祈り」という映画で、人智を超えたサムシング・グレートの話をされていた。

「Switch」のメッセージはきわめてシンプルである。誰にでもある無限の可能性が、ある時その人のいのちのスイッチが押されることで、表に現われてくる。村上さん自身、研究生活の苦労の中、アメリカで京都大学の中西輝政教授に会い、助力を受けることができた時から、研究が大きく進んでいった。そのできごとがあったからこそ、何かができた、と思う瞬間は誰にでもあるものだ。

「科学」という言葉を、客観性と再現性に偏って理解している人は、村上さんの話を好まないかもしれないが、偉大な発見にはむしろ主観や直観が重要であるという。何の根拠もなく「行ける!」と感じる科学者の勘は、ナイトサイエンスとよばれ、その重要性を実感している人は多い。理路整然とした客観的な理屈だけでは、現実は到底説明がつかない。

もちろん、実験科学は、大きな成果を上げてきた。村上さんは、ネズミをくすぐり、笑いの遺伝子を調べる実験も行っている。難病に笑いが効くことは、パッチ・アダムスや膠原病を克服したジャーナリストのノーマン・カズンズの例以外にも広く知られている。この話を、ある時耳にした女性がいた。

2005年、兵庫県尼崎市で起きた福知山線の脱線事故で、鈴木順子さんという女性が重傷を負った。母のもも子さん曰く、「お弁当箱に豆腐を入れてガシャガシャと振ったような」脳挫傷に加え、全身に致命的なダメージを受けた。看病もリハビリも壮絶をきわめた。そんな時、もも子さんは、たまたまラジオで、笑いが遺伝子のスイッチを入れるという村上さんの話を聴いた。それから生活に笑いが加わった。三人の子どもを連れシングルマザーとなったもも子さんは、生きることに精いっぱいで、子どもが何を考えているかに気をくばる余裕もなかった。事故に見舞われ、子どもたちに向き合うことになり、親子の関係はどんどん変わり始めた。

村上さんに会いに出向くがあいにく不在。しかしあとで村上さんから電話がかかる。「私は、人間に無限の可能性があると思って研究をしてきたけれど、実際にそのような例に出会うことができ、私のほうがお礼をいわなければ」と語る村上さんの学者としての真摯な姿勢に打たれる。母親が愛情と希望をもって本気で接したことが、家族に確実に笑顔を増やし、目に見えて大きな変化をもたらした。水泳の練習では、不自由な体でバランスがとれなかったのが、今日はできる。コーチにも、もっとよくなるという手ごたえがある。車いすの順子さんは、自宅の近所に部屋を借りるところまで自立してきた。もも子さんは、「この事故がなければ、どうなっていたかと思う」と、感謝の言葉を口にする。本心からのものであると思う。

人の遺伝子は、99.5%は同じだという。「遺伝子レベルではちょぼちょぼ」の人間の中に、ごくわずかノーベル賞をとり、金メダルをとる人がいる。人としての物理的成分は地球の成分と同じ。つまり、「からだはレンタル」である。では、心が自分かというと、「そんなコロコロ変わるものは自分ではない」。あえていえば、「本当の自分とは魂ではなかろうか」。宗教的な概念は措くとして、すべての民族に「魂」という概念がある。その魂は、個人を超えて、より大きないのちであるサムシング・グレートにつながり、包まれているのだと村上さんは考える。子どもに親がいて、その親にも親がいて、と、たどった先の一番おおもとに、すべてのいのちを生んだ「いのちの親」がおり、これがサムシング・グレートである。親の願いはただひとつ、子どもの幸せだ。その子の幸せのスイッチが押されば、その子なりの金メダルをとることができるのだ。

入江富美子さんも、ある時、スイッチが押された女性だ。六歳のとき、朝目覚めたら、隣で父親が亡くなっていたという経験をもつ入江さんは、四十歳で、さまざまな苦難に見舞われる。前向きに生きてきたはずである。いろんな自己投資はしたけれど、得ても得ても満たされることがない。ある日彼女は観念し、ダメな自分のまま生きること、本来の自分で生きていこうと決心する。「まちがった自分でできることをしよう。自分とつながったら、人ともつながれる」。

そこから事態が変わってくる。村上さんとの出会いの時期ははっきりしないが、祖父にゆかりの四天王寺を訪ねる静かな姿が美しい。この空気の中に含まれているものを思い切り胸に吸い込む。やがて彼女は、養護学級のドキュメンタリー「1/4の奇跡~本当のことだから」を撮り、自分のミッションを生き始める。彼女の回りにも、静かに確実に、いのちのスイッチを押された人が増えてくる。

私が知っているのは、ある女の子の話だ。からだが弱く、いじめられることもあった彼女は、親には心配な存在だった。小学五年生の頃、やさしい先生によく声をかけてもらい、少しずつ明るくなってきた。中学、高校と、彼女なりの努力をして、体育祭の応援団で大きな声を出す頃からは調子づいて、成績も上がってきた。大学を出て仕事も家庭ももち、生き生きと人生を歩んでいる。子どもの頃に押されたスイッチが、確実にほんの少しその子を変えたのだと、ひそかに感じる。何がいつその人のスイッチになるかはわからないし、スイッチの数も人それぞれだろう。でも、まだ押されていないスイッチが自分にあることを感じて、その日を楽しみに生きていければいい。

「丸は何も傷つけない」――順子さんが紙に書いた丸の形。片手でむいたゆで卵。どちらも、スイッチを押されて新しく生きる人の形に見えた。

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「宝のひょうたん」と「私」(2)

ワン君のように、ほしいものや能力を手にすれば、自分がよいほうに変わる、と信じる気持ちには少し共感できる。自分に欠けている部分が埋まることで、自分はより完全に近づき、幸せな気持ちになれるのではないかと期待するのは自然な感情だと思う。

しかし、何かを手にしても、ただ身にまとうアクセサリーが増えただけで、自分が本質的によくなったと実感できなければ、それは幸せな状態だろうか。オーケストラの指揮者のように、チームをまとめてひとつの仕事をする場合は別として、個人が別の個人の仕事を横取りして自分の手柄にして、心から晴れ晴れと嬉しいのだろうか。

誰にもさとられないようにうわべをつくろっても、所詮は盗んだものである。世間を騒がせるほどの剽窃でなくても、小さな盗みはあちこちで意味もなく行われている。本人がうまくやったと思っても、そのような行為が重なっていくことは、本当のその人を無意識に傷つけることになりはしないのだろうか。

人の書いたものを自分のものとして無邪気に使う人に会うと、中身が空洞の人形が外側に何層ものペンキを塗って大きくなったつもりでいるように見える。まがいものに輝きはないし、張りぼてはいつまでたっても張りぼてのままである。その人も、心の奥ではそれに気づいているのに、気づかないふりをしているかのようだ。

本当の自分は、もっと素晴らしいはずだ。それなのに、何かのまちがいで本来出せるはずの力が出せずにいるのだ。そんな感覚は少しくらい誰もがもつものだろう。人が変わりたいと願う感情には、そんなもどかしさがあるように思う。しかし、人が驚くべき変化をとげる瞬間というものがある。例えば、催眠によって物理的にイボが消えることがある。これは神秘でも何でもなく、人があるトランス状態に入って生理的に変化し、その変化が引き起こす現象である。

自律訓練法や内観、座禅、長距離走などは、すすんでその状態に入る方法であり、自らが自己と思うものが取り去られることによって大きな解放をもたらす。あるいは、同じくらいドラスティックにエゴを破壊する役割を果たすものとして、病気や災難も挙げることができるかもしれない。それまでと同じ自分でいては、とうてい越えられない困難が意志と無関係に目の前に降ってくる状況は、自分を決定的に変える貴重な機会でもある。あるいは、より自然な状態に自分を戻してくれる役割をもつともいえる。

本来の自分に出会うために、一度表面の自分をべりべりと剥がして、中から自分の生地のようなものが現われてきた時、自分がくっつけたアクセサリーは、はじめから必要なかったことがわかる。ちょうど剣道のかかり稽古で、精も根も尽き果てたとき、それでもなお一本の面を打つ力が残っていて、その面がびっくりするくらい伸び伸びと美しいのと同じように、何もない自分にもしっかりと力が残っていることに気づくのである。不安は消え、深く息をつけるような静かな心になる。人が本質的に変わる時とはそういうものではないだろうか。

ワン君は、最後に「宝のひょうたん」の秘密をみんなに打ち明ける。みんなの前に出したひょうたんは、もう声も出さなくなった。便利なひょうたんを捨てたことで、彼はいろんな悩みからようやく解放される。ここで目が覚め、すべてが夢だったと知るのは、とても象徴的だ。本当は必要のなかったものを捨てることが覚醒につながると教えてくれるような話である。

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「宝のひょうたん」と「私」(1)

最近久しぶりに、「宝のひょうたんの秘密」(昔の題名は、たしか「宝のひょうたん」までだった)を読み返した。この話は中国の話で、とてもこわい話だった記憶があり、どうしても読みたくなったのだ。

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ワン少年は、願いをなんでもかなえてくれる宝のひょうたんを手に入れ、誰にも言わず秘密にすることを約束する。それからほしいものはたちまち目の前に現れ、苦手な試験でもみるみる正しい答えが書かれて、とても楽ちんである。とはいえ、ワン君はすぐに困った事態に陥る。願ったわけでもないのに、ほんの少し心に浮かんだ物やことが、現実のものとなってしまうために、部屋中に物が溢れたり、そこにあるべきでないものが、突然出てきたりするのである。宝のひょうたんのくせに、でたらめに物を出したりするのは少々都合が悪い。

会いたい友達すら一瞬で現れるに至っては、それがニセモノではないかと疑い始める。世の中のものが、だんだんニセモノか本物かの区別がつかなくなってくる。ついには、世界で本当に生きているのは自分ひとりで、家族も友だちもすべてまぼろしであるかもしれないとまで思うようになる。

子どもの頃、もし本当に友だちや家族が現実には存在せず、自分がこの世にただひとりぼっちだとしたらどうしよう、と悲しくなったのを思い出す。そんな目で見れば、実際そうも見える。「この世はすべて幻」と言った岸田秀の本や、人はすべて変性意識の中で洗脳状態にあるという説を読むたび、大人になった今もこのお話が思い出される。自己啓発本によく「世界は自分の心がつくっている」と書かれているのは、物事は考え方次第というよりも、自分以外のものは実はそこにないのだという意味ではあるまいか、などと勘ぐったりもする。

「宝のひょうたん」がさらにこわく、また面白いところは、ワン君のものになった品物はすべて、どこかから盗んできたものだという点である。テストの答案すら、別の人の文字ごとその答えがそこにコピーされる。自分が持っているつもりのものは、能力も含め、すべてどこからか借りてきたものである、といわんばかりだ。仏教的な世界観なのだろうか。

楽をして何かを手に入れたい人には、宝のひょうたんはまことに便利である。しかし、ワン君がつまらないのは、何かをつくるときの苦労や楽しみのプロセスをすべて奪われてしまうことだ。ひょうたんの意見では、主人はそんなことをする必要はない。そのくせ、ひょうたん自身は、「仕事をしなければ、腕をみがくこともできない。そうなれば、腕がさびついてしまう」と言っては、盗みの腕とスピードを向上させていく。これは、ある意味では、成果だけを手に入れて喜んでいる人種への批判とも見える。

ほしいものが手に入って幸せではない。物事が思い通りになって、かえって不自由で孤独である。ワン君のような人は、意外にあちこちにいるのかもしれない。

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