呪いと祈り

昨日は上野の東京国立博物館で「マジカル・アジア――博物館でアジアの旅」を見てきた。昨秋、「木々との対話──再生をめぐる5つの風景」東京都美術館のガイドツアーがよかったので、今回は「呪いのパワーを探す旅」というツアーに参加したら、ネーミングのせいか大盛況で、ゆっくり見て回るのはツアー終了後になった。

呪詛人形もあったが――なぜか上野公園のイチョウの木に7か所釘で打ち付けてあったものが明治10年に発見されたとか――、呪いというよりはむしろ祈りをこめた品の数々。幸せを願い、災厄を祓う気持ちは、どの民族にも共通している。悪いものと戦うための剣や、祭礼に使う仮面、死後もその人の暮らしが健やかで快適であるために副葬される道具や人形――召使や楽団――、そして墓を守る強烈なビジュアルの鎮墓獣。

この不思議な動物を、「あまり使いたくない言葉」といいながら、「現実にはいない想像上の動物」と説明してくれたのはガイドの白井克也さん。そういう見方は、あくまで現代の人間の価値観であり、当時の人がそう思っていたかどうかはわからないからだ。中国の公式な歴史の記録にも、「龍を見た」などの記述が残っており、人々が龍の存在を信じ、目撃したという実感をもっていたことがうかがわれる。

祈りや呪いは人の心が動く方向である。心の動きはパワーを伴う。そのパワーを信じないことを「ばち当たり」と思う感覚を「マジカル」という言葉にこめた。商業臭さの強い「スピリチュアル」を使わず、「マジカル」としたところに節度とセンスが感じられる。

「私のギャラリートークの時に雨は降らない、これはマジカル。ごちそうさまというたくさんの存在に向けた感謝の言葉、これもマジカル。遠足の前日にてるてる坊主をつくる、これもマジカル」など、特別でなくごくふつうに自分たちとともにあり、生活に結びついている見えない力をおそれ、うやまう心が世界中に溢れている。

ほかに、いろんなおもしろい仏像や青磁、白磁、貨幣の鋳造に使う鋳型など、見飽きることがなかった。中国や朝鮮について嫌な話題ばかり見聞きするが、彼らはこんなに美しい物をつくる民族でもある。仏教や仏像にいたっては、インドと日本をつないでくれる。もっともっとアジアの文化を知らなければならないと思う。インドネシアの染め織も、あたたかい赤が美しかった。

今日は、高島屋で「民藝の日本」の展示を見た。こんなに全国的な運動とは知らなかった。柳宗悦、河井寛次郎、バーナード・リーチ、棟方志功など、名前だけ知っている人の作品以外に、江戸時代の品物や各地の品物が興味深かった。昔、父が話してくれた『妙好人因幡の源左』の装丁を柳相悦が手がけていた。

日本人なのに、日本にこれだけいろんな物があり、それぞれ背景に歴史や風土があることを考える機会はなかなかない。去年だったか、目の悪い方をガイドして文京区の職人さんの作品を見に行った。銀細工や革製品がつくられていることを初めて知り、仕事のみごとさにみとれた。

「民藝」の作品のなかで印象に残ったのは、背中に「纏」の文字が書かれた鹿革の袢纏。これは親方が身につけ、裏に「忠」の字がある。ユーモラスな形の自在掛けは、形が似ているので大黒さんと呼んだらしい。ほんのり赤い小さなゆきひら、福島の美しいブルーの海鼠釉の陶器、素朴な小さい大黒様と恵比寿様、髪結いさんが道具を持ち運ぶ小引き出し。こっくりとあたたかな手ざわりの品物は、手元にひとつほしくなる。

子どもの頃、民芸品店が好きだった。おこづかいで買える範囲と小一時間悩んでは、姉様人形や竹でできたワニのおもちゃなんかを買った。今思えば、店というより倉庫のようなところだった気もするが、真剣にたたずむ小学生を放っておいてくれた。もう一軒お気に入りの店では、こすると魔法使いが出てきそうな銅製のランプや、なぜか一目ぼれしたタイの木彫りの仏像や、素朴な風合いの陶器の人形を買った。自分がいいと思えばそれでよかった私は、いろんなものを身の回りに置いて喜び、なぜか、これも気に入りの青い海に白い帆船がきれいなポスターを壁に貼っていた。

昔、ある方が、中国の職人のことを話していて、名もない人が、ただ黙ってひたすら玉を磨いて磨いて死んでいくとは、どういうことかなあ、と言われた。作者の無名が品物をつつましく、より美しく存在させ、時代を超えて残っていく力を与えているのだろうか。いい物はよけいな説明なしに、まっすぐに人を惹きつける。物もまた祈りのパワーをもつのかもしれない。

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