SNS考

3年ほど前、「Facebookってなあに?」と尋ねた時、ある人が「壁新聞みたいなものじゃないかな」と教えてくれた。

日常で遭遇した小さな事件や笑えるネタを友達とシェアしたり、美しい写真を貼り出すのは楽しいことだ。遠くに住む友達や家族に近況を知らせるのにも役立つ。ビジネスに結びつくファンづくりに上手に活用している人もあり、人気のある人の投稿はやはり魅力があり、節度が感じられる。親しい友人の投稿のように、その人の人柄や好きな物が自然と出ているものも好ましい。

反面、タイムラインに流れてくる一部の情報に、幼児性や過剰な自己表現を感じるものには、共感しにくい。思い入れの強すぎる言葉遣いをする人に、百人もの人が「いいね!」を押しているのも不思議だ。そんな学級委員みたいな言動がウケるのか、と知ることはできるが、どんなに人柄がよくても情緒過多の人は勘弁である。いい年の大人が嬉々として2ちゃんねるやJK風の言葉づかいをするのも好きではない。還暦を過ぎてもその言葉と絵文字を死守するのだろうか。

人は、使う言葉によって自分が所属する集団の種類を示したがるようだ。気づき、学び、ご縁、感謝、最幸、心友などを好んで使う人は、禿同やワロタを常用する人とよく似ている。言葉と話す内容は大きく関連するから、そのキーワードを嗅ぎつけて同じ種類の人が集まる。好きな言葉、嫌いな言葉は、人それぞれではあるけれど、文字だけでいろんなことが想像できる。詐欺師の才能でもない限り、中身が言葉に表れて隠せないのが人間の面白いところだ。

Facebookもひとつの場である。その場を介してリアルでも交流し、深まる関係もあれば、深まらない関係もある。結局のところ、ちゃんと話してみたいと思う人としか、内容のある話はできないのだ。

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