いのちがONになるとき――映画「Switch」を観て(下北沢トリウッドにて)

心と遺伝子の研究者・村上和雄さんの話を初めて聴いたのは、もう十年以上も前になる。東京工業大で講演する安保徹先生と食事の約束がてら出かけたら、そこに不思議な話をする人がいたのだ。村上さんは、高血圧に関連する酵素レニンの遺伝子解読に成功したとして世界的に有名な方だ。昨秋は、「祈り」という映画で、人智を超えたサムシング・グレートの話をされていた。

「Switch」のメッセージはきわめてシンプルである。誰にでもある無限の可能性が、ある時その人のいのちのスイッチが押されることで、表に現われてくる。村上さん自身、研究生活の苦労の中、アメリカで京都大学の中西輝政教授に会い、助力を受けることができた時から、研究が大きく進んでいった。そのできごとがあったからこそ、何かができた、と思う瞬間は誰にでもあるものだ。

「科学」という言葉を、客観性と再現性に偏って理解している人は、村上さんの話を好まないかもしれないが、偉大な発見にはむしろ主観や直観が重要であるという。何の根拠もなく「行ける!」と感じる科学者の勘は、ナイトサイエンスとよばれ、その重要性を実感している人は多い。理路整然とした客観的な理屈だけでは、現実は到底説明がつかない。

もちろん、実験科学は、大きな成果を上げてきた。村上さんは、ネズミをくすぐり、笑いの遺伝子を調べる実験も行っている。難病に笑いが効くことは、パッチ・アダムスや膠原病を克服したジャーナリストのノーマン・カズンズの例以外にも広く知られている。この話を、ある時耳にした女性がいた。

2005年、兵庫県尼崎市で起きた福知山線の脱線事故で、鈴木順子さんという女性が重傷を負った。母のもも子さん曰く、「お弁当箱に豆腐を入れてガシャガシャと振ったような」脳挫傷に加え、全身に致命的なダメージを受けた。看病もリハビリも壮絶をきわめた。そんな時、もも子さんは、たまたまラジオで、笑いが遺伝子のスイッチを入れるという村上さんの話を聴いた。それから生活に笑いが加わった。三人の子どもを連れシングルマザーとなったもも子さんは、生きることに精いっぱいで、子どもが何を考えているかに気をくばる余裕もなかった。事故に見舞われ、子どもたちに向き合うことになり、親子の関係はどんどん変わり始めた。

村上さんに会いに出向くがあいにく不在。しかしあとで村上さんから電話がかかる。「私は、人間に無限の可能性があると思って研究をしてきたけれど、実際にそのような例に出会うことができ、私のほうがお礼をいわなければ」と語る村上さんの学者としての真摯な姿勢に打たれる。母親が愛情と希望をもって本気で接したことが、家族に確実に笑顔を増やし、目に見えて大きな変化をもたらした。水泳の練習では、不自由な体でバランスがとれなかったのが、今日はできる。コーチにも、もっとよくなるという手ごたえがある。車いすの順子さんは、自宅の近所に部屋を借りるところまで自立してきた。もも子さんは、「この事故がなければ、どうなっていたかと思う」と、感謝の言葉を口にする。本心からのものであると思う。

人の遺伝子は、99.5%は同じだという。「遺伝子レベルではちょぼちょぼ」の人間の中に、ごくわずかノーベル賞をとり、金メダルをとる人がいる。人としての物理的成分は地球の成分と同じ。つまり、「からだはレンタル」である。では、心が自分かというと、「そんなコロコロ変わるものは自分ではない」。あえていえば、「本当の自分とは魂ではなかろうか」。宗教的な概念は措くとして、すべての民族に「魂」という概念がある。その魂は、個人を超えて、より大きないのちであるサムシング・グレートにつながり、包まれているのだと村上さんは考える。子どもに親がいて、その親にも親がいて、と、たどった先の一番おおもとに、すべてのいのちを生んだ「いのちの親」がおり、これがサムシング・グレートである。親の願いはただひとつ、子どもの幸せだ。その子の幸せのスイッチが押されば、その子なりの金メダルをとることができるのだ。

入江富美子さんも、ある時、スイッチが押された女性だ。六歳のとき、朝目覚めたら、隣で父親が亡くなっていたという経験をもつ入江さんは、四十歳で、さまざまな苦難に見舞われる。前向きに生きてきたはずである。いろんな自己投資はしたけれど、得ても得ても満たされることがない。ある日彼女は観念し、ダメな自分のまま生きること、本来の自分で生きていこうと決心する。「まちがった自分でできることをしよう。自分とつながったら、人ともつながれる」。

そこから事態が変わってくる。村上さんとの出会いの時期ははっきりしないが、祖父にゆかりの四天王寺を訪ねる静かな姿が美しい。この空気の中に含まれているものを思い切り胸に吸い込む。やがて彼女は、養護学級のドキュメンタリー「1/4の奇跡~本当のことだから」を撮り、自分のミッションを生き始める。彼女の回りにも、静かに確実に、いのちのスイッチを押された人が増えてくる。

私が知っているのは、ある女の子の話だ。からだが弱く、いじめられることもあった彼女は、親には心配な存在だった。小学五年生の頃、やさしい先生によく声をかけてもらい、少しずつ明るくなってきた。中学、高校と、彼女なりの努力をして、体育祭の応援団で大きな声を出す頃からは調子づいて、成績も上がってきた。大学を出て仕事も家庭ももち、生き生きと人生を歩んでいる。子どもの頃に押されたスイッチが、確実にほんの少しその子を変えたのだと、ひそかに感じる。何がいつその人のスイッチになるかはわからないし、スイッチの数も人それぞれだろう。でも、まだ押されていないスイッチが自分にあることを感じて、その日を楽しみに生きていければいい。

「丸は何も傷つけない」――順子さんが紙に書いた丸の形。片手でむいたゆで卵。どちらも、スイッチを押されて新しく生きる人の形に見えた。

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