居場所の〈いのち〉の話――「場の研究所」勉強会に参加して

昨日は、場の研究所の勉強会だった。もう一年以上、月一回のこの会の隅っこに坐らせていただき、何をするでもなく、いろいろな話に耳を傾けてきた。自分の内面にいろんな言葉やイメージが浮かぶ貴重な時間である。

居場所という言葉に、何のわだかまりもない人もいれば、そうでない人もいると思う。社会にうまく適応できないでいる人や、ほかの人とのコミュニケーションがうまくいかない人の多くには、安心して身を置く居場所がない。それが病の元凶であるから、医者や薬では治らない。私自身、会社という居場所のために長年身を挺して働き、その状況が自分を生かしたとは思うものの、その居場所を離れて以来、考えることは多い。

独創的な生命哲学者である清水博先生は、「場の理論」の提唱者である。こんなにわかりやすい話は、今の時代にもっと広まっていいはずなのに、誰もが「場」の概念なしに「我が我が」と生きているためか、あまり顧みられていないことがとても残念だ。福島で原発の被害に苦しんでいる人たちには、身につまされる話であるという。

演劇をやっている友達に、「場」の話は、すぐに通じた。彼らは、ひとりひとりがしっかりと役割を果たしつつも、舞台という共有の「場」に、惜しげもなく自分を捧げて、それによって自分がエネルギーを受け取っていることを、身をもって知っているからだ。それは、卵の黄身と白身の関係に似ている。

ボウルにいくつかの卵を割り入れてみる。黄身は、尊重されるべきひとりひとりの個性である。ただ、黄身だけでは生きていくことができず、互いの白身を混ぜ合わせて、ほかの卵の〈いのち〉とつながり、その「場」の中で、より生き生きと卵としての〈いのち〉を発揚できる。家庭もしかり、組織もしかり。自分の〈いのち〉をどこかへ分け与えたら減るのではないか、と身構えるようなけちんぼは、その黄身もしょぼくれていることが多い。子どもを育てる母親は、自分を子どもに食べさせて育てているというのに。

この「卵モデル」で考えると、家族が、常に賑やかに言葉を交わさないとしても、同じ屋根の下に暮らすということが、どれほど意味のあることかがよくわかる。故郷に妻と三人の子を残し、東京で50日も出稼ぎのようにホテル住まいの人がいる。家族のためのその生活が、仕事を終えて戻った部屋でひとりになると、しみじみと身にこたえ、次第に自分がおかしくなっていくのがわかる。仕事がうまくいかないときなどはなおさらで、夜眠るのが怖い。妻に電話をすると少しは心が安らぐが、生きている意味がわからなくなる気がする時がある。いつ死んでもいいなどとも思えてくる。

それではいけないと、家族五人でひとつの部屋に眠った。話すわけでも何をするわけでもないのに、それで正気を取り戻し、また仕事に行く気力が出てきた。家ではなく、その居場所をつくる家族という場の〈いのち〉、豊かな白身が、ひとりの人の〈いのち〉を救って、人が居場所に生かされているということの、わかりやすい例だと思う。〈いのち〉には、そんな二重の形態があるようだ。逆に、居場所の調子が悪いと、そこで働く人も不調だ。ノルマ偏重で余裕のない職場にいる人の顔は暗い。むしろ居場所が人のエネルギーを奪う。居場所と人と、どちらもハッピーである時、健やかに生きていくことができる。

現代の病気の多くが、そのような〈いのち〉の病ではないかという清水先生の説には、同感である。認知症、うつ病、摂食障害など、心を許して話せる家族や友人がいれば、もしかしたら発症しないかもしれないし、治りやすいかもしれない。認知症の問題行動などで、そんな指摘もある。それを知って、「場」づくりを重視する治療家や援助職の人もたくさんいて、効果を上げている。

状況は、頭でなく、まず腹で受け止めるのが先でなければならない。科学だの心理学だの脳だのを信奉する人は、頭や言葉が先行しすぎる。まず理解することが科学的態度だと思い込んでいても、そんなに何でも簡単に理解できるのだろうか。あまりに重い苦難を背負った人を前にしたら、誰でも言葉を失い、ただ、受け止めることしかできないというのが、本当ではないだろうか。評価も判断もない。そのまま、それを受け止めてはじめて、時間をかけて理解していく。その順番の何もまちがってはいないと思う。

最近読んでいるシステマの本に、素晴らしい言葉が載っている。
――脳の役割は、身体をコントロールすることではない。身体に何が起きているのか、情報を受け取り分析することだ。(ヴラディミア・ヴァシリエフ)*

身体という無意識の声をしっかり聴いて、脳をもっと休めてみればよい。勉強などしないで、深呼吸して体操をすればよい。考えるより、感じることで、人はもっと豊かになれるように思う。

*北川貴英:人はなぜ突然怒りだすのか, p.39, 2013, イーストプレス

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