映画「パリよ、永遠に」に見る対話

『交渉術』を著したロジャー・フィッシャーに師事した方に、「『交渉』とは、相対する二者以外に、第三者の視点からもその結果が妥当であるとみなされるものであらねばならない」と教わったことがある。
よく話してみなければ、真に相手が求めることはわからない。

というのは、一方が必要とするのがパンの耳、もう一方が白い部分など、互いの利害(interest)が調整可能な場合もあるためだという。交渉が必要な理由は、双方が柔らかな白い部分を望むからだとばかり思っていた。

人命にかかわる場合を除いて、思い浮かぶ「交渉」の多くは、「金銭」や「時間」など、双方が自分の利害に固執して譲らない状態からスタートし、許容できる範囲の「妥協」で終結するイメージがあった。「パリよ、永遠に」は、戦時の二人の人物の間に繰り広げられる交渉の過程をたどる物語である。最後には、相対する二者だけでなく、全世界が深く納得できる見事な結論が導かれる。

1944年、パリを占領中のドイツ軍の将軍が、「パリの街に爆弾をしかけて吹き飛ばせ」というヒトラーの命令を受ける。まさに実行に移すばかりの時、現われたスウェーデン人の外交官の説得によって、事態を回避した、そのやりとりが映画になっている。オリジナルは同じ俳優どうしによる舞台劇であるという。

ドイツ人の将軍の滞在するホテルの一室に、どこからともなく見知らぬ男が笑顔で登場する。その部屋のからくりも面白いが、饒舌なこの珍客は、名乗ったあともやはり謎めいている。やがて来訪の目的が告げられ、ある手紙が将軍に手渡される。ドイツ軍には勝ち目のない戦況で、降伏を促す内容が連合軍から届くのだ。即刻却下される。

この中立国の外交官は、明らかに連合軍の回し者にちがいない。しかし彼は、「自分は個人としてここに来た」と言う。なぜなら,美しいパリの街を守ることは自分の心からの望みであるのだから。

ノートルダム寺院もオペラ座もエッフェル塔も、ルーブル美術館も、こなごなにするのは,数十分で事足りる。しかし、何年か後にその美を楽しむ人々のために、何としても残すべき価値のある風景なのだ。
その言葉を証明するかのように、繰り返しパリの街が映像にとらえられる。

しかし,この程度の言葉で将軍の心は動かない。かたくなに「お引き取りを願おう」と繰り返す。自分は、命令通り、パリの街を破壊するのであると。

外交官は、部屋の壁にかかる絵を見て「あなたはアブラハムか」と将軍を激しくなじる。神の命令とあらば息子を殺すのか。かと思えば、「あなたに子どもはいるか」と弱い部分を突いてゆさぶりをかける。さらには、「見る目がなかった。あなたのことも自分のことも」と、今度は自分の弱さを見せ、あらゆる角度から攻め込んでいく。

何を言われようと、ドイツ人の将軍は、ヒトラーからの命令には絶対服従するよりほかない。それが彼の立場であり役割であるからだ。爆破部隊に連絡をすると、邪魔が入って計画の進行が妨げられていることを知る。このあたりから、交渉する気のなかった相手への見方が変わる。明らかにこの男は何かを握っている。どこまで知っているのか、確かめねばならない。

相手の態度が変わると見るや、外交官はまた少し攻め方を変える。刻々と変化するせめぎ合いのさまは実に見ごたえがある。ひとつの部屋にいて、ただひとつ言葉だけを道具に主張し合い、互いに影響を与え合う。ある種のゲームを見ているようでもある。

将軍とて、下された命令の無意味さはよくわかっている。しかし、彼はある事情によりそれを実行せざるをえない。それを、交渉相手にポロリと話す。「君ならどうするのだ?」と。

彼がはじめ主張していたインタレストは、本当のものではない。それが、時間とともに薄皮を剥ぐように中から表れ出てくる。そこを外交官は察知して、ゆさぶりをかける。つまり、交渉を試みたからこそ、真のインタレストが明らかになってきたのだ。

そのあとのスピーディな展開は鮮やかだ。外交官は、終始誠実な態度でまちがいなく成功する作戦を提示する。それは、将軍の最も懸念することを見事に解決した上で、パリの街を守ることにもなる。

もとより命令に従うことに乗り気でなかった将軍は、対話の中で芽生えた見知らぬ相手への信頼に望みをたくし、彼の提案を受け入れる。

「なぜ私を救いに来た?」と、将軍が尋ねるシーンがある。交渉相手が自分を救ってくれる存在だと感じるまでに彼の心は動かされた。むしろ、救われたかったと彼が願っていたことがこの台詞で明かされるようにも見える。敵側としか思えない人間が実際には自分を救う。ありえないことのようだが、相手の出方次第で物事が大きく動くとき、交渉の場では案外このような心理が働くこともあるかもしれない。

しかし、実際には、将軍の思惑とは異なる終結に至る。つまりは、外交官および連合軍側からすれば、はじめから決定されていたゴールに落ち着いたことになる。

これはしかし騙したのではなく、さまざまな点において、やはり救いだったのだと思う。将軍の名誉も家族も守られ、のちに彼には勲章が贈られる。両者ともに勇敢であった。互いのインタレストをきちんと守ることができたという意味で、歴史に残る立派な交渉が、粘り強い対話によって行われたのだ。

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