ボディワーク考(3)――システマ2

システマの呼吸法のワークの前の話も、ひとつひとつ納得のいくものだった。人はふだん自分のからだの動きを、あまり意識しない。意志と無関係に働く自律神経によってコントロールされている内臓の筋肉の働きなどは、まず意識にのぼらない。知らないうちに食べ物は消化され、寝ている間も心臓は動き続け、呼吸も止まることはない。ただし、呼吸だけは、自律神経が支配するからだの動きの中で、唯一意識的にコントロールが可能である。呼吸をコントロールすることで心拍まで止める人がいるそうだ。もっとも、「止めるのは割と簡単で、動かすほうが難しいので気をつけたほうがいい」とのこと。

筋肉の動きで面白いのは、表情筋である。怒った表情では、筋肉も硬直するが、笑顔でいるとリラックスにつながる。ハーバード大学の心理学者ウィリアム・ジェームズの「人は悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」という有名な情動理論は、筋電図が証明するかもしれない。インドでは、ラジオ体操代わりに、早朝に「笑いヨガ」なるものが流行しているらしい。

北川先生は、ホワイトボードに横一本の線を引く。パニックや緊張状態になるラインは、人によってそれほど異なるわけではないという。異なっているのは、各人が平常の状態にあるノーマルラインである。もともと緊張度の高い人のノーマルラインは、パニックのラインとの距離がやや近い。一方、リラックスしている人は、パニックに至るまでにかなり距離のある下の方に平常のラインがある。つまり余裕があるために、すぐにキレることがない。ただし、同じ人でも緊張状態が長く続くと、ノーマルラインは次第に上がっていく。しかも、ストレスは少しずつ溜まるので、自覚できないうちに、疲れやすくイライラしやすい状態に変化してしまうのである。

では、リラックスし、ノーマルラインを下げた状態にあると、どうなるのか。本来の自分の力が発揮できるのである。フィギュアスケートの演技でも、力が入るとうまくいかない。その他のアスリートや武道家、身体芸術にかかわる人、もっと広く一般人も同じである。これを理解するには、位置エネルギーを考えるとよい。高いところから物を落とすと大きな力が生まれるが、低いところからでは力が小さい。これも距離や余裕の問題である。最大限に力を発揮するには、高い集中状態に自分をもっていく前に、十分に深く脱力している必要がある。それがポテンシャルを大きくすることにつながる。

もちろん、心理学でもこのような知識は学ぶことができる。しかし、人間一般の行動の傾向や法則を頭で知ったところで、すべてが法則通りには行かない。例外もある。それよりも、自分を基準として、「このような状況になると、人のからだや心はこうなる」と体感したほうが、類推がきくようになる。やはり、まず自分を知ることが基本であり、からだからのアプローチがわかりやすい。

ゆったり呼吸すると、心身が楽になる。ヨガや太極拳をかじったり、ヨガの伝統的呼吸法であるプラーマーヤナのクラスにも出たことがある。呼吸の方法に種類が多く覚えきれなかったが、浮足立っていたものが下に降りてきたような、気持ちが落ち着く効果があった。

システマの呼吸法は非常にシンプルだ。鼻から吸って、口から吐く。胸式、腹式はあまり関係ない。前に本で読んでびっくりしたのは、背骨を折り、手術ができない状態の人を呼吸とマッサージだけで治したという実話だ*。呼吸が大切と知ってはいても、そこまで威力を持つものとは知らなかった。床に横たわり、息を吸って全身くまなく 緊張させてみる。次に、息を吐いて弛緩する。そのときに、自分のからだがどうなっているか、観察してみる。意外に全身に力を入れているつもりで入りきらないところがあるのに気がつく。やはり自分で自分のからだをあまりよくわかってはいないようだ。

システマの四原則は、①呼吸、②リラックス、③姿勢、④動き続けることで、とくに決まった型も構えもないという。自然な姿勢で立っていると、いろんな力がかかっても耐えられるが、少しでも姿勢が崩れると、途端に弱くなることも、実際にみんなでやってみた。「普通がいいよね」ということらしい。実際の動きは、YouTubeなどで見ることができるが、どんなに攻撃されても、くるりくるりと、なめらかに、のれんか柳のように受け流す。こんな不思議な柔らかい強さもあるのだと知る。リラックスした方が勝ちだが、それほどに脱力はむずかしく高級な技に思える。

「自分がいつも整っていれば、相対的に相手が整わないことになり、勝手に自滅していく。実際に触れなくても、そばにいるだけでラポールが生まれる。不思議なことですが、システマの創始者のミカエルの横にただ立っていた人は、彼が何もしないのに、くずおれて倒れてしまう。実際に見た人にしか信じられないかもしれないけど、そういうことも起きるんです」

この日から、毎日、鼻から吸って口から吐くことを心がけている。胸のあたりでときどき止めているのがわかった。ひっかかりがなくなるまで気長に練習して、のれんの仲間入りを目指そうと思う。

*北川貴英:4つの原則が生む無限の動きと身体 ロシアンマーシャルアーツ システマ入門, p.184, BABジャパン, 2011.

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