映画「祈り――サムシング・グレートとの対話」を観て

近年、海外では祈りの効果について科学的検証が着々と進み、人の思考の力が細胞や健康に明確な影響を与えることの裏づけを蓄えつつある。この映画は、有難い宗教的教えではなく、祈りのサイエンスを扱っている。残念ながら日本の学術業界はこの種のテーマを注意深く避けるが、最近は矢作直樹氏のように現役の医師で、『人は死なない』といった著作でスピリチュアリティを主題にする人も出てきている。映画に遺伝学者の村上和雄さんが出ると知って、何年も前、心と遺伝子のエキサイティングな話を聞きに行ったことを思い出し、いそいそと渋谷へ出かけた。

映画冒頭は、マザーテレサのスピーチ。自分に対して何が向かってこようともすべてに愛で返す。凡人には難しいことだけれど、その言葉を聞くだけで心洗われる時間。映画は、ドキュメンタリーの中に、村上和雄さんの子ども時代のエピソードや研究の裏話をドラマで織り交ぜ、心とからだの問題に科学的に迫るサイエンティストやジャーナリストなどが登場する。出てはこなかったがラリー・ドッシーの著書『祈る心は、治る心』からもいくつかの引用がなされていた。

一番好きなシーンは、子供の頃の村上さんが、おばあさんと対話するところだ。おこづかいもろくにくれないこのおばあさんは、村上少年に何にも勝る人生の極意を授けている。曰く、銀行にはふたつあって、地上銀行のほかに天国銀行というものがある。天国銀行は目には見えないけれど、誰かが困って本当に必要な時に、利息をつけておろしてくれる。だから天に貯金をしなさいと。

研究者時代、海外の研究者に先を越されて地団太を踏み大奮闘する村上さんを演じるのは北村有起哉。びっくりするほど大量の牛の脳みそを集めるために食肉業者に日参し、ただひたすらに頭を下げる。「私は頭を下げるのは一向に苦にならない。なぜならそれで物がタダでもらえるからだ」という心で粘る研究者に降参した業者から、なんとか脳みそをせしめる。研究室のスタッフが神妙な顔でひとつひとつ処理するシーンに「朝からホルモン屋の開業」とナレーションが流れる。物事をやさしい言葉で語り、ユーモアを忘れないのは、関西人のよさである。そして、行き詰まった村上さんに天からたっぷり利息のついた預金がおりてくるシーンもちゃんと登場して、観ている方はうれしくなる。

新薬の治験では、必ず偽薬(プラシーボ)と比較対照した実験を、医師にも患者にもその詳細を知らせない二重盲検法(ダブルブラインド)によって行い、薬効を確認するが、プラシーボに3割から5割の効果があることがすでにわかっている。メリケン粉やイワシの頭で病気が治るならば、副作用のある高い薬を使う必要は減るだろうにと思う。薬で安定を得る心理は理解できるが、使い続けることはやはり危険なことに思われる。

遺伝子に書かれている暗号は、「このような蛋白質をつくりなさい」という命令である。村上さん曰く、遺伝子のすごいところはそれが読む前にすでに書かれていたことである。誰が書いたのか? 人間であるはずがない。しかし科学者としてはそれを神仏とは言わず、「サムシング・グレート」と呼ぶことにした。人智を超えるできごとが自然の中では日々営まれている。大災害は、自然からの悲痛なメッセージであるかもしれない。人が自分のからだという内なる自然に背くことは病の原因になると、私も思う。

ほやほやアツアツのカップルに、1日4時間相手のことを思い続けて脳内の蛋白質を測定するという実験でも、祈りの効果がはっきりと数値で証明される。アメリカの東海岸から西海岸に向けて、重い心臓病の患者にも医者にも知らせないダブルブラインドで祈りを送った実験でも、祈られた患者によい効果があったというデータが得られ、祈りは空間をも超えることが証明される。映画に登場する細胞学者のブルース・リプトン氏は、人間のからだを楽器の音程を合わせる時に使う音叉にたとえ、体からネガティブな周波数が出ている時に細胞は病気になり、ポジティブな波動で細胞は健康になると述べた。高すぎる周波数はストレスを招き、ゆったりと低い周波数では心が落ち着くというのは、免疫学者の安保徹氏の主張するミトコンドリアのゆったりした世界に通じる。人の意識は環境にまで影響を及ぼすともいう。

柳瀬宏秀氏は、祈りは願いとは別のものであるとする。ただし、自分のエゴにより自分のほしいものを得ようとするだけの心の働きには、神様は乗ってはくれない。願いの「い」に神様が「乗る」と、それは祈りとなる。祈りは量ではない。地球上のごくわずかなパーセンテージの人の意識が変容するだけで、この世界にとてつもなく大きな変化が起きるという考え方に希望を感じる。

『フィールド』の著者リン・マクダガートの言葉が素敵だった。祈りの実験において、祈られた人によい効果があったと同時に、祈りを捧げた人にも心の平安と健康がもたらされたという。大切な人が苦しみの中にある時、何もできず祈るしかない時がある。自分ではどうしようもない状況に、思わずしぼり出すような深い祈りは聞き届けられるということだろうか。

  大きなことを成し遂げるために
  強さを与えてほしいと 神に求めたのに
  謙遜を学ぶように弱さを授かった

で始まる有名な「名もなき兵士の詩」が流れる。病や貧困や失敗を賜ったとて、願いはすべて聞き届けられ、祝福は与えられている。

nobulog1006
  
この作品で初めて知った監督の白鳥哲氏は、「ストーンエイジ」や「不食の時代」など話題作をつくり続ける人であるらしい。アップリンクをはじめとする渋谷の小さな映画館は、障害をもつ人や政治的主題を扱った少数派のための映画も積極的に上映してくれる。興行収入よりも伝え手としての責任を果たすことに重きを置いているかのようだ。こんな貴重な映画館が今後も存続してくれることを祈る人が多くなくても、その祈りには力が宿ると思いたい。

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