「即興劇」初体験@下北沢

ぼんやりしているうちに、二か月以上も経ってしまったが、どうしても書き留めておかなければならない。

10月15日、楽しみにしていたインプロ・ワークスの「即興を遊ぼう会」に初めて参加した。

即興劇は、清水博先生の「場の理論」の重要な要素である。
「人生という場で、誰もが筋書きのない即興劇を演じている」という言葉は、歌詞か台詞のように聞こえ、実際に「即興劇」を体験できるらしいと知って、自分にもその機会があれば、と、興味をもった。何の気なしに検索したところ、十日後に「即興を遊ぼう会」があるとわかり、いそいそと申し込んだ。

下北沢は、つい2週間前にダーウィンルームを訪れたばかり。よく芝居や映画を観に来た大好き街だ。劇団の稽古場のような場所。渡されたガムテープに、好きな自分の呼び名を書き、胸に貼る。はじめに簡単な自己紹介。口慣らし。くちびるをブルブル、巻き舌。頰に力が入っているとできないらしく、どちらもまったくできず。鼻に声を響かせる。その日のテーマは、「音楽とインプロ即興で歌っちゃいますか!」。即興劇自体が初めてなのに、できるのかしらと、ドキドキする。

輪になって、ひとつずつ、隣の人に拍手を送っていく。逆回し。変則リズム。来た人に返してもいい。裏で拍子をとる。各自が いろんなリズムを鳴らして、みんなで真似する。これだけでも十分楽しく、前に場の研究所で贄川治樹さんが教えてくださったリズムセラピーを思い出した。

名前を呼び合う。自分を指差しながら、自分の名前を2回言って、誰かの名前を2回。これをどんどん回して行く。視覚障害者のガイドになる時も、こうして相手の声と名前を覚えるゲームがあった。慣れたら、声を出している人以外は、「ウッホッ、ウッホッ」を言い続ける。もっと慣れたら、声を出している人の両隣は、「ティキティキティキティキ」を身ぶりをつけて言わなければならない。状況をパッと把握して出す台詞を変えて、自分の番になると、誰かを呼ぶ。人の名前も自分のすることもだんだんわからなくなって、みんな失敗しだすのが面白い。

次は、みんなで連想ゲーム。考えみれば、大人になってから、こんなことはしたことがなかった。いろんな思いがけない単語が次から次へと繰り出される。「ネオン」と言われ、酸素・窒素の業界にいた私は、希ガス(レアガス)と思って、口から出た言葉が「ヘリウムガス」。ぎょっとされたが、自分の中でイメージがつながっているから、何を言おうと全部正解。四人に分かれてまた連想ゲーム。

その次は、三人組で、これまたへんてこなお題で即興の物語を作り上げる。一人が指揮者で、話す人を指名して、好きなところでどんどんスイッチする。それに合わせ、話の途中でも相手のお尻を受け取って続けていかなければならない。お手本は、「怒りっぽいコアラ」。腕に覚えのある方のはちゃんとお芝居になっていて引き込まれる。そのあとは「不思議な〇〇」とか、どこかの国のできごとなどとして、お話をつくった。私が指揮者の番の時、好きな国を決めてよいというので、大好きなエリナー・ファージョンの『ガラスの靴』から、ダレシラヌ国をチョイス。

そして、いよいよお歌の時間!
今日は、即興で歌ってしまうというので、ピアニストのぼっこさんが、ポロンポロンと持参のピアノを弾いてくれる。この方がいなければ、即興で歌なんてつくれない。みごとなガイド、素晴らしいメロディ。この演奏がそもそも即興なのだ。

まず先生の絹川友梨さんが歌ったメロディーをみんなで繰り返す。順番に短いフレーズを歌う。次に少し長いメロディー。 2人組に分かれて、演歌を一曲やってみる。ピアノが上手だからか、なぜだか不思議とそれらしい曲を歌えている。それとも、自分では忘れているメロディが、ちゃんとどこかにしまわれていたということか。

そして、次はみんなで。即興の作詞作曲。友梨さんの目に入った壁のシールから、最初のお題は、「水漏れ」。ここに、思いがけず、壮大な水漏れストーリーが繰り広げられる。誰も指示しないのに、ちゃんと展開させる人、オチをつける人がいて、物語になっている。場が共有されると、こういうことになるしい。

お題は、へんなものほど盛り上がる。趣味に変な形容詞をつけて、「地獄のウォーキング」「ハワイの恋」。なぜかみんなそれらしい節と歌詞で歌えてしまう。ハワイ組は、波のようなダンスまで無意識に揃っている。インプロとは、互いのリズムが同調するものなり。

次は4人で歌う。
演歌の「涙のポテサラ」
ちょうどカレーフェスをやっていたので、「カレー」
ボサノバで「ハロウィン」
ロックで「炎の編み物」

2人組になって、
「高尾の恋」(見ているほうもちょっとドキドキ)
「初めての手術」(2人とも丈の長い白のアウターで白衣に見えた)
「少林寺拳法の試合前控え室」(キャラクターのコントラスト、微妙なせめぎあい)
「小姑と嫁」(うちの味じゃないわ、と、言われ、醤油と味醂を肉じゃがに足す嫁)
「お弁当屋さん」(私たちのもの。パートナーに助けられ、要領の悪すぎるおばさんを地で演じる)
「家庭教師との不倫」(リアルに盛り上がる危険な関係。女性がサチコさんなのに終始ミチコさんと呼んでいたのはなぜ?)
フルムーンで初めての海外旅行(やさしい旦那さんとやりくり上手の奥さん。行き先は最後までわからなかった)

ぼっこさんのピアノに導かれ、面白いくらいいくらでもストーリーが出てくる。

体験してみて、わかったことが二つあった。

一つ目は、即興劇は、ひとりでしなくてもよいということ。同じ「場」にいる人とのやりとりの中で、自分でも思いもよらず、内側から湧き上ってくる言葉を通じて、生き生きとストーリーが展開していく。しかも、ひとりひとりの個性を際立たせながらの場の共有がある。白身をつないで、あくまでも黄身を大事にできる世界。協力しない人は誰もいない。

二つ目は、誰ひとりとして即興劇ができない人はいないということ。どんなに自信がなくて心が弱っていても、自分自身ですら知らない力が自分にはまちがいなくある。不正解はなし。なんでもあり。苦労して絞り出すものかと思っていたが、湧いてくる井戸がみんなの中にあることがわかった。

雑談の中で、実はニセモノのインプロが出回っていて困るなどの話も聞いた。ホンモノのインプロを体験できた幸せに、元気いっぱい帰路についた。

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