「幸せ」を意味するウェルフェア―1

知り合いのアメリカ人に「子どもの心」の英訳を尋ねたことがあった。てっきり“Heart”という言葉を使うと思っていたら、返ってきた答えが”Children’s Welfare “を含む長いフレーズで、驚いたことがある。数人の大学の先生が話し合ってそれがいいということになったそうだ。
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峠の時代の〈いのち〉と富の話(2) 清水博氏講演・「親鸞仏教センターのつどい」にて

生も死も〈いのち〉のドラマに力を貸す
生き物から居場所へ〈いのち〉を与贈すると、居場所のシステムが、自己組織的に生成します。ここに〈いのち〉のつながりが生まれ、居場所の〈いのち〉が今度は生き物へとプレゼントされます。これは、自己組織が進んでいくことによって、「縁」の世界が拡大しているためです。このしくみによって、〈いのち〉のドラマの生成が進行していくのです。
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峠の時代の〈いのち〉と富の話(1) 清水博氏講演・「親鸞仏教センターのつどい」にて

場の研究所所長である清水博先生の『近代文明からの転回』(晃洋書房)の冒頭に、真壁仁の「峠」という詩が引用されている。東北大震災という未曽有の災害を経ても、相も変わらず個人の富を守ることに汲々とする現代人に、「今、私たちは峠の時代にいるのではないか」と、穏やかに語りかける先生が、4月14日、学士会館で開かれた「親鸞仏教センターのつどい」で、「自己組織する〈いのち〉――人間の死生観を超えて」という題で話をされた。
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あるとないとでおおちがい

洗濯機やトイレのボタンの脇などによく点字がついている。小さな点がいくつか浮き出て、その組み合わせが文字になっている。それに指で触れる必要のない人には模様のようにも見えるが、その小さな突起はれっきとした文字である。文字があるといろいろな情報を共有することができ、生活する上での大きな助けになることはいうまでもない。
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お宅訪問――同行援助事始め

新米のガイドヘルパーとして、視覚障害のある人の同行援助を行うことになった。

視覚障害の友人を長く知っていたことで、自分にもできそうに思っていたが、その人が並はずれて自立度が高かったために一緒に歩けただけのことだった。逆に、障害がありながら独力でいろんなことをこなすだけの能力と努力についてあらためて気づき、自分は大した配慮もしていなかったことがよくわかり、愕然とした。
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見えない人と見える人

東京都文京区に「文京ガイドヘルプサービス」という視覚障害者のガイドを派遣する事業所があり、水曜日の月例会でガイドに向けて寸劇が演じられた。

登場するのは、とある会合に参加する視覚障害者(利用者)とガイド3組で、それぞれA組、B組、C組とする。A組の利用者は、レモンイエローの服を着た女性で、控えめで配慮の行き届いたガイドと一緒にいるという設定。B組の元気なガイドが、利用者Aさんを見つけて、自分の付き添ってきた利用者をほったらかして、名前を名乗りながら駆け寄って挨拶をした。さらに、C組からも顔見知りのガイドが、「だ~れだ?」などと言いながら、Aさんに近寄ってくる。

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アイマスク体験

A4の白い紙の中心に、小さな丸を書く。続いてその丸を、少し大きな丸で囲み、その作業をさらに何度か繰り返す。

誰にでもできそうなこんな単純な作業が、視覚を遮断した状態で行うと、一瞬にして誰にもできない作業に変わる。サインガイドという枠を使っても、満足に文字を書くのは難しい。「偏軌」といって、通常はどちらかに偏ってしまう。注意して紙をまっすぐにしておかないと、斜めに書いてしまったりもする。
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言語教育に取り組む現場実践報告を聴いて――獨協大学外国語教育研究所第3回シンポジウムから(2)

松田雪絵氏(埼玉県立伊奈学園総合高等学校)の報告

1.多文化言語共存社会で生きる人材を育てる

伊奈学園総合高等学校というユニークな言語教育に取り組む学校があることを初めて知った。同校は、1984年に併設型の中高一貫校として創設され、普通科でありながら「学系」という独自の分類による人文、理数、語学、生活科学、スポーツ科学、芸術、情報経営の7科を設け、興味や適性に合わせて時間割を組むことができる。
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言語教育に取り組む現場実践報告を聴いて――獨協大学外国語教育研究所第3回シンポジウムから(1)

日本には真のエリートを育てる教育がないといわれる。随分昔、雨後の竹の子のように看護大学が乱立した際も、「教養」の定義について教員間で意見がまとまらず、多くは技能偏重から知識偏重に移行したのみに終わった。

それほど教育者の意識が低い。現場との乖離が、さまざまな教育において制度的に横行していることが多すぎる。
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