『摂食障害――見る読むクリニック』の出版トークイベント2―質問に答えて

出版トークイベントの後半は、フロアからの質問に著者が答える形で、摂食障害への理解をより深める時間となった。

質問者1:拒食症で体重が低下しています。縛ってでも(栄養を投与して)体重を増やすべきですか。
鈴木:成長期であれば経管栄養もしますが、20歳過ぎた人ではむずかしいでしょう。ことと次第によりますが、意識がなくなって管を抜くとあぶないので、抑制が必要な場合もないとはいえません。 続きを読む

「ADDICTION(アディクション)~今日一日を生きる君~」を観て

7月27日、どうしても観たい芝居があって、夕方、代々木上原のIto・M・Studioへと出かけた。駅から坂を上って行くこのスタジオは、演劇研究所を主宰していた故伊藤正次さんの教え子たちが今も表現活動を行う場所だ。前からこの人のことは知っていたが、シュタイナー展で偶然その名を目にして調べたら、内谷正文(うちやまさぶみ)さんのひとり芝居の情報がヒットした。薬物依存症について、個人的体験にもとづいてつくられた劇である。 続きを読む

キリスト教とスピリチュアリティ―― 日本スピリチュアルケア学会基調講演を聴いて

9月6日、日本スピリチュアルケア学会2014年度第7回学術大会にて、副学長の川中仁氏の基調講演と、作家の柳田邦夫氏の記念講演を聴いた。「スピリチュアリティ」という言葉はむずかしいが、人間の本質において大切なものと考えると非常にシンプルで、流行の「スピリチュアル」という言葉が、オーラや言霊、精神世界、占いなど混沌としているのとは明らかに異なる。
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スピリチュアルケアと物語――柳田邦夫氏と傾聴

最近、医療や看護の本に「スピリチュアルケア」という言葉を見かけることが増えた。治す医療とケアの看護が補い合うのは当然として、人間を単に部分の集合ととらえていては済まない状況が増えているためだろうか。たとえば、がんの末期を宣告された人、耐えがたい喪失体験、大切な人の重い病気や障害に苦しむ人には、処方する薬がない。宗教的なものや医療以外の救いを求めるのは、ごく自然なことである。
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錯覚活用法――裏切る「感覚」を逆手に現実を変える

六本木ミッドタウンで、d-labo主催の「錯覚で幸せになる技術」という講座を聴いた(2014.7.29)。講師は、東大情報理工学系でバーチャルリアリティを研究する鳴海拓志 (なるみ たくじ)さん。かけて食べれば、少ない量で満足できる「ダイエットメガネ」などのユニークな研究がある。
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死は誰のものか――映画「眠れる美女」を観て思うこと(3)

ある看護書に、「ケアが侵襲(ストレス)にならないようにかかわる」という記述があった。
善意で行う医療処置も、いいことばかりではない。抗がん剤などの強力な作用をもつ薬は、ある症状に対処するために薬Aを投じると、
その副作用を防ぐために今度はBを投じ、さらにその行き過ぎを正すためにCを、といった具合に、
薬が薬を呼ぶようなところがある。治療が患者を激しく消耗させるひとつの例である。
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フィンランドの教育としつもん――シンプルに、ちゃんと考える

6月25日、しつもん財団のフィンランド教育視察報告会で、かもめ大学学長の高坂翔輔さんの話を聞いた。

世界一の学力を誇る国フィンランドで、学校を訪ね、いろいろと見聞きした印象記である。

「走っている人がいない」ことが印象的なゆとりのあるお国柄。長く外国の支配下にあった歴史のせいか、
人は親切で人情厚く、独特の教育システムがとられているという。
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円覚寺坐禅会 2014年4月4日 「三界無法 何処求心」の講和を聴いて

ある方から教えていただいた座禅会が、歩いていける場所であるというので、1月から円覚寺の白山道場に行くことにした。一時間ほど階下で座ったあと、二階へ上って、般若心経、白隠禅師坐禅和讃、延命十句観音経、延命十句観音和讃、四弘誓願を読み、雪竇禅師(せっちゅうぜんじ)が注釈を加えた「碧巌録(へきがんろく)」から、管長の横田南嶺(なんれい)氏の講和を毎回ひとつずつを聴く。
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