「幸せ」を意味するウェルフェア―1

知り合いのアメリカ人に「子どもの心」の英訳を尋ねたことがあった。てっきり“Heart”という言葉を使うと思っていたら、返ってきた答えが”Children’s Welfare “を含む長いフレーズで、驚いたことがある。数人の大学の先生が話し合ってそれがいいということになったそうだ。

Welfareの和訳は、たいてい「福祉」か「厚生」と相場が決まっている。1998年にノーベル経済学賞を受賞したインドのアマルティア・センの提唱した「Welfare Economics」が「厚生経済学」と訳されていることを、つい最近知った。餓死する人も多いインドで生まれた貧しい人のための経済学らしい。「福祉」というと障害者のためのものという固定観念があるし、「厚生」にいたっては訳された時代からあまりにも変わっているので、現代人の感覚としていまひとつピンとこない。

昨秋、ベネッセの介護ヘルパー(旧称)の講座で、実技含め何人もの先生から熱の入った講義を受けた折、初日のイントロダクションを受け持った後藤先生というヒゲをはやした男の先生が、「福祉」という言葉を解説され、はじめてすっきりした心持ちになった。

「福祉って、どういう意味だと思いますか?」と問われ、生徒はそれぞれにいろんなことを連想したが、定義は単純明快で、「幸福になること」。「では誰がですか?」――ここでまた生徒の頭には「障害」やら「ハンディキャップ」やらの文字が浮かんできたところで、ホワイトボードに文字が書かれる。

高齢者(老人)、児童、身体障害者、知的障害者、精神障害者、女性、男性……つまるところは、すべての人の幸福になるためにあるものが「福祉」なのだと、私たちは目を開かれる。そんな考え方を知ってはいたものの、ついつい言葉を狭い意味に限定していた。書かれた単語の後ろには全部「福祉法」を連結することができ、そのままの名前ではないが、どの人に対しても福祉を守るための法律がつくられている。内容を読めば、たしかに「福祉」は「幸福」を指して使われている。

ではその「幸福」の中身はというと、「愛されること、ほめられること、必要とされること、人の役に立つこと」が最低条件だと、後藤先生は言う。説明に配慮が感じられたのは、この「すべての人」に当然介護職も含まれるという言葉だ。訪問した家の人から、「どうもありがとう。また来てね」と言われるときは、幸福の条件である「必要とされ、人の役に立つこと」をヘルパーが実感できる瞬間である。そのひとことが大きな救いとなり、励ましとなり、エネルギーとなる。

いざ現場に入れば、ヘルパーは美しいとはいえない現実を嫌というほど目にしなければならない。そんな時、専門職としての誇りを支える心がまえをしっかりと心の中にもつことができれば、つらい状況を乗り越えられる。あのとき一緒に勉強した若い人たちは、わずかひとコマのあの授業に助けられながら、この春からの仕事に臨んでいるだろうか。

「支援」などという二文字の言葉を知っても、その本当の内容は、時間をかけて体得するしかない。「対人援助」の四文字になると、もっとおそろしい。相手は感情をもった人間なのだ。その感情を押し殺して我慢させることのないように、目や耳をしっかり開いてこちらも感じ取らなければならない。知識などお勉強しても何の役にも立たない。