お宅訪問――同行援助事始め

新米のガイドヘルパーとして、視覚障害のある人の同行援助を行うことになった。

視覚障害の友人を長く知っていたことで、自分にもできそうに思っていたが、その人が並はずれて自立度が高かったために一緒に歩けただけのことだった。逆に、障害がありながら独力でいろんなことをこなすだけの能力と努力についてあらためて気づき、自分は大した配慮もしていなかったことがよくわかり、愕然とした。

初日のその日は、ベテランのガイドがお手本を見せてくれた。考えてみれば、初対面の人をその自宅に訪ねるのは初めてだった。駅からの道順を覚え、この次からはひとりで行けるかがそもそも心配になる。

まず第一の失敗はバッグだった。片側にかけるショルダータイプではなく、斜めがけにすべきだった。講習を受けた際は両手があくようにリュックにしていたが、エスカレーターでガイドの自分が前方になって縦一列に乗り込んだとき、荷物の多いリュックで利用者との間をみごとに遮断してしまった。それを反省してリュックを避けたのに、反省のしかたが不十分だった。

その日勉強したことは、たくさんあった。
・ガイドが緊張してしまうと、利用者も緊張するため、できるだけリラックスしていなければならない。
・マンション前の下りのスロープなどは、その人の生活の場であるにしても、目で見て確認できないために言葉で説明する必要がある。
・歩道に自転車が置かれていて通れず、道をそれる時も説明が必要。
・通る道は、広い歩きやすい道を選ぶ。

・歩きながら、まわりの建物、店、道路の情報を伝える。
・振込を行いたい場合、お金は預からず用紙のみ預かり、窓口で利用者から受け取って代わりに出し、おつりの金額も伝えながら返す。

・買い物の時も、支払いは利用者が自分の手でお金を財布から出し、ガイドは必ずレシートを受け取っておく。

・イレギュラーな事態があっても、あわてずに対処する。その日は、目的の場所に早く着いたために、時間をつぶす必要があった。

初めて知ったことだが、初対面の人の生活の場でサービスを提供するために出会うことは、面接のように互いが準備して会うのとはまったくちがっている。自己紹介をして、世間話から会話が始まるということもない。むしろ、相手の考えていることを邪魔しない注意深さがあったほうがいいように思われた。

訪問者は、あくまでそこで暮らす人の生活の場に自分が立ち入るのだと自覚して、その人のペースにいきなり巻き込まれることを覚悟しなければならない。文字通り、他人のホームに赴くのである。会話は突然先方のリズムで開始される。内容がなかなか理解できず、先輩のガイドがいなければ、立ち往生するところだった。

何年も援助の仕事についている人の話術は、みごとなものだった。相槌の打ち方も絶妙なら、相手がストレスに感じていることにも共感を示して、さりげなく話題を趣味や楽しいことに進めるうちに、次第に落ち着きと明るさが戻っていく。これがガイドというものか、と、感心するしかなかった。「気がやさしくて力もち」なくらいで対人援助の仕事はつとまりそうもない。歩くことを助ける以外にも、たくさんの技術が存在する。

その技術は、どのように身につければよいのだろう。カウンセリングや心理学の本は山ほどあるし、場面ごとに模範的な問答の例もあるかもしれない。ただ、形だけ真似て上手な相槌が打てたところで、それが心からのものかどうかは、すぐに伝わってしまうとも思う。うわべだけの相槌は、言葉足らずの不器用さよりもタチが悪いのではないか。その時に自分で頭を巡らして精一杯対応するなかで少しずつつかんでいくしかないのかもしれない。

その日は晴れた日で暖かく、公園の桜吹雪がきれいだった。会ってからほんの数時間で、その人は、話したいことをガイドにぶちまけて、みるみるうちに元気を取り戻していった。すぐれたガイドは、目の不自由な利用者に対し、主に言葉をかけ続けるだけで、その人の気分も顔つきも変えてしまう。そして何より声がいい。これは援助職に共通の特徴でもある。