見えない人と見える人

東京都文京区に「文京ガイドヘルプサービス」という視覚障害者のガイドを派遣する事業所があり、水曜日の月例会でガイドに向けて寸劇が演じられた。

登場するのは、とある会合に参加する視覚障害者(利用者)とガイド3組で、それぞれA組、B組、C組とする。A組の利用者は、レモンイエローの服を着た女性で、控えめで配慮の行き届いたガイドと一緒にいるという設定。B組の元気なガイドが、利用者Aさんを見つけて、自分の付き添ってきた利用者をほったらかして、名前を名乗りながら駆け寄って挨拶をした。さらに、C組からも顔見知りのガイドが、「だ~れだ?」などと言いながら、Aさんに近寄ってくる。

その間に交わされた会話は、「あ~ら、この間私が選んだ洋服、似合ってるわ~」だの「次のお花見の約束、忘れないでね」などで、思慮深いガイドAは黙っている。同時にガイドBとCの2人から声をかけられたAさんは、一見にこやかに対応している。さて、そのお腹の中はどうなっているだろう? 向こうで利用者Bは、「うちのガイドはどこへ行った?」と、声を上げて不安げな様子である。ガイドBは戻ったあとも、遠くから別の利用者に向かって、大きな声で「今度ディズニーランドに行くのを楽しみにしてます」と、去り際の挨拶をする。

この寸劇に表わされた状況を、みんなで評価することになり、よくないところを指摘し合った。

・ガイドBが自分の利用者を放置することは、利用者の安全面および心理面でも問題がある。

・その日自分が担当している利用者を最優先に考えるべき。

・洋服のことや先の予定など、利用者Aのプライバシーがいくつもガイドたちによって公表されることは、Aさんの気持ちに配慮のない行為である。

・「だ~れだ?」などと、声だけで自分を当てさせるガイドCの態度はよくない。

いくつも意見が出た中に、その日の会合が利用者どうしの集まりであり、決してガイドが主役ではないことが重要という声があった。その場合、ガイドBは、自分が付き添ってきた利用者に向かって、「あちらにAさんがいらっしゃいますが、ご挨拶なさいますか?」などと尋ね、両者を引き合わせることもできる。二人が知り合いの場合、それは自然な行動であるし、もし、その必要がないと言われれば紹介しなくてよい。

仮にガイドどうしが顔見知りであったとしても、自分を黒子と認識していれば、ガイドどうしの挨拶はとくに重要ではなく、たとえば目で挨拶するだけで十分である。声を出して挨拶しなければ、利用者がそれを気にすることもない。思わず声を出してしまうことは、いかにもありそうなことではあるが。

もうひとつ、同時に複数のガイドがひとりの利用者に接近した時、利用者が売り込まれた」という印象をもつ場合があるという。この寸劇の出典は、『見えない人こそよく見える――視覚障害者ガイドヘルプの手引き』(速水基水子、速水洋著、生活書院 ※3月はじに探したところ、都内の図書館のどこにも置かれていなかった)で、本では「PR合戦」という見出しで40ページに述べられている。軽率な行動とも見えるが、うっかり自分がそれに近いことをしないとも限らない。人に配慮するとはどういうことか、しっかり考えなければならない。

ちょうど桜が見ごろの時期とあって、「もし散歩などで花が咲いているところを通ったら、利用者の方に是非手で触れてもらってください」などという助言もあった。たまたま隣り合ったガイドさんが、こんな話をしてくれた。

何の気なしに、散歩の時に咲いている花の説明をして、利用者の手を花に導いたことがあったのを自分ではすっかり忘れていたところ、ある時利用者から「あの時は嬉しかった」と言われたそうだ。手が目の代わりでもある視覚障害者にとって、花を手で触れることは、季節を感じる喜びのひとつでもある。小さな嬉しい経験は大切に記憶に残される。限られた一緒の時間に小さな不愉快を残すことのないよう、ガイドは大いに気をつけなければ。