「空」と「涅槃」

2019年に私は、『あなたがはじまる般若心経 ver.1』(明窓出版)を世に出しました。巷間よく耳にする「『空(くう)』は実体がない」という説に真っ向から異を唱えたもので、ありがたいことにたくさんの方から「ようやく納得できる般若心経の解説に出会った」との声をお寄せいただきました。

 

私は、「空(くう)」を「万物を生み出す豊かな根源」と理解しています。ちょうど真空が「空っぽの空間」などではなく、無限のエネルギーを秘めているように「空」とらえているのです。

「色・受・想・行・識」をまとめて「五蘊(ごうん)」と呼びますが、「空」をこのようにとらえると、「五蘊皆空(ごうんかいくう)」や「色即是空(しきそくぜくう)」の意味はガラリと変わってきます。

「空(くう)」を豊かな水をたたえた大きな河とすると、「色(しき)」とはそこから生まれた泡です。現象としては個々別々の存在ですが、本来大きな河という源から発しているため、根底では互いに分かち難くひとつにつながっています。だからこそ「色は空である(色即是空)」や「五蘊は皆空である(五蘊皆空)」と言えるのです。私は、「現象が空しい」という解釈は誤っていると考えています。その理由については、『あなたがはじまる般若心経 ver.0』に詳しくのべています。

 

般若心経というお経は、最初の文章に重要なエッセンスが詰まっています。

「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時(かんじざいぼさつぎょうじんはんにゃはらみったじ)

照見五蘊皆空皆空度一切苦厄(しょうけんごうんかいくうどいっさいくやく)」

最後の「度一切苦厄」は、「この世の一切の苦しみと厄難から解放された」という大変めでたい内容です。

 

いつ、その境地に至ったかをのべているのもこの文です。

「観自在菩薩がこの上なく精妙で深遠な『般若波羅蜜多』という仏陀の智慧を実践された時」

がまさにその時です。その時、観自在菩薩の中で起きたこと、それは……

「私たちが暮らすこの有為(うい)の世界で、そこに働く『縁起(えんぎ)』の法則をつくる

『五蘊(ごうん)』は皆、本質的には『空(くう)』であることをはっきりとおわかりになった」

 

堂々たる喜びの宣言以外の何物でもありません。

この境地がいわゆる「涅槃(ねはん)」です。すべての苦難から解放され、真の自由が得られる悟り。それほど「般若波羅蜜多」という智慧は素晴らしいとのべているのです。

 

この正月、私は、ふと、「死も涅槃である」と思い至りました。実際、死は、自分の生を終えた静けさであることから「涅槃」とも呼ばれます。しかし同時に、「『空』は虚無である」という考え方をしていたのでは、自分の人生があまりにも空しく感じられて、とても安らかに眠るわけにはいかないという気持ちにもなりました。死とは、人生からの喜ばしい卒業です。平安に満ちて死へと赴くために、「空」を肯定的にとらえ、自分とは空がこの世に現れたのだと理解することは、心が楽になると思うのです。

 

多くの解説書では、「五蘊は空である、だからすべての現象は虚無である」としています。これを聞いて「なるほど」と思う人もいれば、何か狐につままれたような気がする人もいることでしょう。「五蘊」とはこの世を形づくるさまざまな「縁」の集合体です。つまり、私たちすべての人間をつくっているのは「五蘊」であり、「空」なのです。自分という存在をつくるものが「虚無」であろうはずがありません。

 

幸福も不幸もすべて「空」という大いなる根源から生み出されているとわかれば、この世で自分を悩ませ続けているあらゆる苦難は、自分への恵みでもあるという心境になれるのではないでしょうか。

 

「空」を誤解したままの死では悔いが残りそうです。人は「空」から生まれ、「空」へと戻っていく。そのように考えて迎える死こそ、真の「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」である。

私にはそう思えてなりません。