目に見えない小さな生き物

二年ほど前、国立科学博物館(科博)のミュージアムショップで、素敵なモノクロームのカレンダーを見つけた。不思議な貝殻のような物体の写真が50個以上もちょこちょこと、大判の紙一面に並んでいる。トゲトゲや渦巻き、イガイガのほか、繊細なレース模様や小さな規則正しい穴に表面が覆われているものなど、見て飽きることのない自然のデザイン。

それが「放散虫」だった。大きさは1ミリ未満で、「星の砂」の親戚、プランクトンの仲間、などということは、あとから知った。こんな美しいものを見られるのも、根気よくひとつずつ写真を撮り、整理する人がいるからこそ。

同じ頃、科博で南方熊楠生誕150周年記念企画展を見た。記念館のある和歌山に行ってみたいと思っていたら、今年5月、チャンスが訪れた。友人宅で一度だけお会いした馬渡駿介先生(北海道大学名誉教授)が南方熊楠賞を受賞され、記念式典が開かれるというニュースが入ったのだ。

すぐさま便乗して和歌山は白浜へ。京大白浜水族館、南方熊楠記念館を訪ね、途中の円月島という奇岩を眺め、珍しい植物に目を奪われた。旧熊楠宅の南方熊楠顕彰館は、田辺市内にある。式典参加のためにすぐそばに宿をとり、朝は海べりや古い神社を歩き、城下町で地酒を買った。

水族館では、友人の伴侶・メダカ博士(新潟大学名誉教授)が面白かった。不思議な姿の生き物に「植物? 動物?」と目を凝らす私の横で、壁に貼りついた糸のような白い生き物を見て、ぼそっと「センチュウか?」とつぶやくのである。知っていることがちがうと、目に入るものもちがってくる。

馬渡先生は、友人が「コケムシ先生」と呼んだ通り、コケムシ研究の大家である。記念講演のタイトルは、「ヒトの目にとまらない生き物たち」だった。道でばったり出会う機会がゼロである以前に、小さすぎて目に見えない。35種の動物門からなる多細胞生物の中で、馬渡先生は、環形、線形、節足などのほか、苔虫門などを加えた7つの動物門の分類学的研究に携わっておられる。

コケムシは「個虫」という小さな生き物が集まった群体で、海藻などに固くくっつく固着性である。せん毛で水流を起こして懸濁物を口まで運び、食べ、残りは出す。くるくる動くサメハダコケムシの動画は、馬渡先生には「可愛い」と映るらしい。

一般人は知らないコケムシ。漁師さんには実に不人気である。コンブにつくと売れない、定置網の水の通りを悪くするなど、数々のコケムシ問題がある。コケムシを取り除くために、逆回転するブラシの間にコンブを通すなど、知られざる機械も開発された。

ひとつの生物を調べることは、卵から分割して幼生を経て成体となる「生活史」をとらえることである。コケムシの暮らしなど想像もつかないが、それを通して見えてくる世界がある。

学生たちをコケムシ研究に勧誘し、不首尾に終わる。教授といえども、研究対象は強制できない。しかし、好きな生物を選んだ学生を指導するうち、馬渡先生の守備範囲はぐんと広がり、複数の動物門について論文を書く世界有数の研究者となる。そこから動物の多様さに目を向け、ひとつの種の位置づけがその他の種との関係によって決まることを再確認し、別個の生物を研究する分類学者を統合する必要性を痛感する。分類から統合へという視点は、生物多様性の保全にも大きな役割を果たしている。

馬渡先生は、現在、国立沖縄自然史博物館の設立に向けて、細胞生物学の泰斗である東京工業大学名誉教授・岸本健雄先生(注)とともに精力的に活動している。生物研究には、生物標本の収集・整理・保管の3つが欠かせない。自然史博物館には、こうした研究の成果を展示して教育・普及活動に生かす役割がある。

しかし、欧米にあるこの研究拠点が、現在、東南アジアには存在しないという。まず、標本を保管するスペースが必要になる。さらに、地理的環境的観点から、多様な生物標本の宝庫である沖縄は最適なのだそう。標本に、時間も空間も超える貴重なはたらきがあることは、もっと広く知られるべきことである。放散虫も、5憶年前の化石から発見された。

講演中、「Be a taxonomist!(分類学者になるべし)」を繰り返していたのは、おそらく比喩で、人間もひとつの生物だという視点から世界を見よ、と言われたにちがいない。自分の目に見えないものが存在しないと思うのは、ヒト種の傲慢である。世界には、コケムシもメダカも放散虫もいる。人間は、生物界の一員として、ともに地球の自然の多様さをつくっている仲間なのだ。

 

★国立沖縄自然史博物館設立準備委員会

https://sites.google.com/view/okinawa-natural-history-museum

(注)岸本健雄先生は、2005年に比較腫瘍学常陸宮賞を受賞したほか、2011年には紫綬褒章も受賞。

https://www.jfcr.or.jp/princehitachiprize/j/2005.html

 

 

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