「科」を超える東洋医学、繋がる医療の輪

〇「何でも診る科」の漢方医
私は内科医師として研修を開始したが、5年目から漢方に出会い、その後は内科とともに漢方医としても歩んできた。東洋医学は伝承医学で、約2000年前に成立した古典を、金科玉条のごとくバイブルにしながら現在も使用している。その時代の医学に各科目の分類などはなく、あらゆる科を乗り越えて書かれているため、漢方医は自然に「何でも診る科」を修業してしまうことになる。特に私が漢方を勉強しはじめた30年前にはそんな雰囲気が色濃くあった。

漢方を求めてくる患者さんは圧倒的に女性が多い。だから内科以外に婦人科患者は常に来院する。また女性に多い不定愁訴は、こじれてくると精神科愁訴となるので、この分野の患者さんにも慣れてくる。当院は淡路島の田んぼの真ん中に立地している。そのため農家の方々があちこち痛いと来院する。いつの間にか整形外科も得意になってきた。また子供や若者達はアトピーやらニキビやらで来院するし、春になると花粉症患者も相当数来るので、皮膚科や耳鼻科分野も少なくない。長い漢方医生活の中で、そんなことは当たり前だと思って、内科以外の多くの科の情報にもアンテナを張り、知識を得るようにしてきた。

淡路島で開業して10年以上になると、さまざまな所から漢方治療の紹介を受けるようになってきたが、その患者さんは内科ではなく、婦人科だったり、精神科だったり、皮膚科だったり、それらが混合していたりする。ふと、私のような「何でも診る科」の漢方医は、他の科の医師にとっても、患者さんにとっても案外重宝かもしれないなと思うようになってきた。

〇何でも診る漢方医のネットワーク
私は患者を目の前にすると、まず患者さんの要望を聞き、最適な治療を考える。第一選択は漢方ではあるが、必要に応じて西洋薬も併用したり、鍼灸治療も行う。東洋医学が嫌だという患者さんにはその希望を優先する。また場合によっては、血液検査やレントゲン検査などもする。その上、「何でも診る科」なので、患者さんにすると何軒も医療機関を回る必要がなくなる。最先端の医療ではないが、小回りの利く便利な医療かもしれない。

最近このような各科横断的な医師を、「家庭医」だとか、「プライマリケア医」だとかと称するようになり、その価値が高まってきた。やっと時代が我々に近づいてきたようである。

ただ、常々感じることであるが、専門の内科以外は、病態が重くなると予後が分かりづらくなる。このあたりを潮時として各科の専門医に紹介することにしている。「何でも診る科」ではあれ、非専門医であることを自覚していないと患者さんにも不利益であるし、医療事故にもつながりかねない。経験を積んでくるとその辺りで躊躇しなくなってきた。そのように次の医師に渡していると、顔馴染みの専門医も増え、山場を乗り越えると戻してくれるし、漢方の患者さんを紹介してくれたりする。また専門医の掌の内を知ることで、自身の臨床にもフィードバックできる部分も沢山ある。「何でも診る科」のお蔭で、各科の専門医と親しくネットワークができるのも嬉しいことである。

〇医師と患者はたがいに守りあう
ただ、強敵もいる。さまざまな専門医を回り尽くしてやってくる難治性疾患の患者さんである。その際には、漢方薬は魔法の薬ではなく、専門医で難しいなら、東洋医学でも難しいという当たり前のことを説明した上で、それでも治療を受けたいというなら、覚悟をして一緒に戦うしかない。あの手、この手と考えながら、悩みながら患者さんにも耐えてもらいながらの道である。予想以上にうまく行く時もあれば、全く歯が立たず敗北感に打ちのめされる時も多い。しかしこの悪戦苦闘の積み重ねが、医者として自身をとても成長させてくれたと私は思う。

私が研修医として最初に属した医局の教授は、「医者は患者さんの心のオアシスであれ」と教えて下さった。三つ子の魂のようにその言葉は胸に刻まれ、患者さんを守れる医者でありたいと思ったものだ。

だが、長い医師生活の中で、私達医療者は患者さんからも守られているのかもしれないと思うにようになってきた。患者が医師を選ぶ判断基準はいろいろだが、長く通院したり、何かあると必ず来院する患者さんとは、価値観が近い者どうしとして繋がりあって、守りあっている感じがする。それを最も感じたのは、阪神淡路大震災の時だった。被災の中心地区ではなかったので、直接震災で亡くなった方はいなかったが、その後持病が悪化して死亡されたり、自宅が全・半壊で引っ越しをしたりして、1年で数十名の通院患者がいなくなってしまった。その時にぽっかり空いた私の心の穴や、医療現場の雰囲気の異常さを、今も鮮明に記憶している。「そうか、私は今まで多くの患者さんに守られてきたんだ」と、その時にはじめて気がついた。

医者どうしの循環、医者と患者さんとの循環、関係性は異なるが、気持ちが近い者どうしでの繋がりを大切にすることは、お互いを守り合い、安全性の高い医療を構築することにもなる。そのためには自分の可能性と限界を常に意識し、患者さんの利益になる診療を第一としたいものだと思う今日この頃である。

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