長万部の河童

彼岸の墓参で関西に行った頃から、急に秋になって台風が来た。ゆうべは窓の外で風と雨が騒がしかった。

秋になると必ず思い出す俳句は、昔、北海道で出会った一句だ。

   秋澄むや満身に非の打ちどころ

まじめに文字をたどって吹き出した。「非の打ちどころがない」とは聞くが、満身が非の打ちどころとは、と、いっぺんで気に入って、以来、何かあるたびにこの句を思い出す。物事がうまく行かなくても、非の打ちどころ満載とあれば、やむをえない。さわやかな居直りの一句。

朱の筆で描いたなんとも憎たらしい河童の絵と一緒に書かれた俳句は、植木蒼悦という画家の作品だった。飄々として斜にかまえる風で、しかしこの人は日本画とともに西洋画の心得があり、自ら選んで清貧の道に入り、その生活でしか描けない絵と俳句を残した。

長万部の植木蒼悦記念館を訪ねたとき、いくつかの句を書きつけた。先日発掘された走り書きをタイプして、判読不能なものを長万部の観光協会に問い合わせた。お返事が来て、歯抜けの句が完成されて戻ってきた。

どれも仙人のような軽みがあり、ユーモアと寂寥と、何となく死の方角から生を眺めているような世捨て人然としたところに、凄味も感じられる。何度見ても見飽きることがない。

   瓦斯タンク ガスを抱えて霞みけり

   炎天を画かむと墨を濃くしたり

   春眠の無策が吸はす安たばこ

   霞より霞まで行く乗車券

   力泳の愚を知りたらん蝌蚪(かと)流る (かと…オタマジャクシ)

   立春のつまみて勒き和紙の耳

   死にかけて塩舐めてをり花曇

   嵩ばらぬ死後の眺めの桜餅

   太古より蟹をり地球濡れてをり

   蛞蝓(かつゆ)光陰すすむ音幽か      (かつゆ…ナメクジ)

   痛切に鋸痛切に夏氷

   こうもりの構えたるまま枯れ落ちぬ

   掌らに枯野のけはい火のにおい

   渡り鳥示し合わせて来るわ来るわ

   鬼の豆握りしめたり生きてをり

   寒卵割る寂寞に耐えんとて

   寒卵眠るに非ず醒むるに非ず

   冬といふ大括弧の中にあり

「霞より霞まで行く」「眠るに非ず醒むるに非ず」の視点が面白く、墨絵のような俳句である。物体は生き物のようだし、生き物はちょっと人間臭い。「瓦斯タンク ガスを抱えて霞みけり」の句は、晩年の蒼悦を苦しめた大腸ガンのことであると、観光協会からのお手紙にあった。

この頃、宮脇俊三の鉄道エッセイに夢中だった。青函連絡船で函館に向かうときに下北半島と函館半島がオペラの序曲のように出会う、というフレーズにしびれて、何としても船で北海道に行かねばならない気分になった。冬になりかけた頃だったが、当時住んでいた神戸から夜のうちに東京へ出て、夜行で青森をめざし、朝、浅虫温泉に立ち寄って、いさんで船に乗ったはいいが、その頃には青函連絡船などとうにないのを知らなかった。何でもいいから船に乗って、甲板でかもめを眺めたりしたが、函館半島はいっこうに迫って来ないまま、船は夜の室蘭港に入った。 おかげで美しい港の明かりが見られた。

時刻表とにらめっこして翌朝は早起きし、洞爺湖を見たあと洞爺駅から噴火湾沿いに走る列車で長万部へ行った。天気がよく、海の色は真っ青で明るかった。何で知ったか、植木蒼悦記念館を訪ねた。そこで出会った河童と俳句が、折々に思い出される大切な言葉の蔵にしまわれることになった。

結局北海道へは一度きりしか行っていない。素敵なものはいくらもあるだろうが、いつかもう一度、噴火湾沿いを列車で走り、植木蒼悦の描いた長万部の河童に会いに行きたい。

(参考) はこだて人物誌 http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/jimbutsu_ver1.0/b_jimbutsu/ueki_so.htm

長万部観光協会 http://www.osyamanbe-kankou.jp/

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