No Music, No Life.

家に戻ると服にタバコのにおいがついていて、「ああ、ライブハウスに行ってきたんだな」と感じた。

先々週の話。サイトに音楽エッセイを書いてくれている佐藤さんのライブを聴きに渋谷へ。ミュージカルは、今年友達に誘われて二度ほど行ったが、ライブは本当に久しぶり。佐藤さんの登場は遅めとのことで、8時過ぎに入店。

渋谷のHOMEは、こじんまりとしていて、その日登場する四人のうち二番目の男性がギターを弾いて歌っていた。スタンディングで一杯飲みながら聴く。東京には、こんな場所がいくつあるのだろう。会社員と二足のわらじをはいて音楽を続けている人もたくさんいる。ほとんどの人が十代から始めているだろうから、まだ三十代でもキャリア20年という人もいるはずだ。

三番手の女性登場。この人もギター一本で、日常のつぶやきのような歌。きれいな声で、やさしい歌は聴きやすかった。いよいよ佐藤さんの登場。こちらは少しバンドらしく、バックに数名従えて、まずバラードでスタート。佐藤さんは、普段はウェブプログラマーで、やりとりするたびにじみ出る丁寧な人柄に加えて声も顔もやさしいが、歌もやっぱりやさしくて、ギターを持って出てきた瞬間、「おっ、カッコいい」と思っても、見ているとなんだかほほえましい。とはいえこの時間になると、店に来る人の数もずいぶん増えて、キャリアを感じさせる。その日はビートルズも2曲演奏してくれた。曲名を知らなくても、やっぱりビートルズだなとわかるのも楽しい。

ずいぶん前に、テレビで神戸の地震のあとのタクシー運転手のドキュメンタリー番組を見た。仕事が終わると彼は、何やら大事そうにもってどこかへ向かう。ジャズバンドで演奏するトランぺッターだった。被災生活の中でも、音楽だけは欠かさない。むしろ音楽があるから、現実の厳しさを笑い飛ばし、日々のエネルギーをそこから得ている様子が見てとれた。同じように芝居や朗読も、人に見せるためのものでありながら、まずは自分がそれを必要としているから続けている、という印象を役者からいつも感じる。「自分はこんなに音楽や演劇が好きで、楽しんでいます、どうぞそれをご覧ください」という姿勢と心意気。

そのせいで、音楽や芝居を見ると、技術以前にその熱に打たれ、こちらまで元気が出てくる。大がかりでなくても、そこに参加した人はその時間の記憶を楽しく温かいものとして、心の引き出しにしまえる。特に好きなのはカーテンコール。熱演した人のほうが深々と頭を下げるのは、プロもセミプロもアマチュアも同じ。疲れも見せない演者が一段と高揚する瞬間。人前で音楽や芝居を披露して、彼らはさらにパワーアップしているよう。

ライブ終了。出口で知り合いを送り出す佐藤さんの姿。なんて楽しそうなんだろう。素敵な笑顔に私も送られ、店を出る。「音楽のない生活なんて」と書いてあるような顔をみて、私も「考えられないよね」と、こっそりつぶやいた。

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