エリートも、すぐうつ病になる時代

〇会社に通えない病

ある臨床心理士から聞いた話です。大手電気メーカーで、若手社員のうつ病が急激に増加しているということです。
その会社は、一流大学の理系男子を多数採用していることで有名です。もともと優秀な人材が集まっているなら、仕事はスムーズにいきそうなものですが、
最近の若者はコミュニケーションが苦手で、「会社」というシステムに適応できないばかりか、少し注意を受けるとすぐに精神不安定になり、体調まで崩して会社に来られなくなるのです。
来られなくても、労働者の権利は保護されており、戦力にならない休職組を、会社は切り捨てることもできない――こんな話がどこにでもころがっているというのです。

いい大学に入ることが、いい会社に入り、安定した人生を約束するものと信じられた時代がありました。今はどうでしょうか。
盤石と思われた大企業すら、つまらないスキャンダルや放漫経営で一瞬にして信用を地に落とし、存続も危ぶまれる時代です。
人気のある売れ筋の商品もすぐに新しいものにとって代わられます。
それでも、だからこそ、わが子にはしっかりした教育をつけて、できればグローバルに活躍できる人間になるため、せめて教育に力を入れたい。
そう思うのが親心というものでしょうか。

時代がどんなに変化しても生きていける子供にするために、教育にお金をかければよいのなら、経済的に豊かな親からは必ずすぐれた子供ができるのが理屈です。
しかし、最初に申し上げたように、偏差値競争をくぐり抜けて入った一流の大学で、高い教育を受け、卒業したとしても、毎日元気に会社に通うという当たり前のことが難しい人材が生み出されることを、どう考えればよいのでしょうか。

〇悪いのは教育か

大学教育の質が低下しているのは、学生の質が落ちているからだ――大学で学生を教えている教師は、口々にそう語ります。
以前であれば、理解された講義での説明や少し抽象的な概念に、学生がついてこられない。国語力、理解力の問題であろうか。
大学生が幼稚になっていることはまちがいない。挨拶やしつけまがいのことを、大学の教師が教えなければならないことも少なくない。
たどってみれば、高校生も中学生も、小学生、保育園の子に至るまで、昔の子供よりも幼くなっているというのが、この情報化時代の教育の成果のようです。

ある大学の学生の間では、ぎりぎりの出席日数で単位をとるために、どこまで授業をさぼれるかを研究し、最低限の出席でうまくクリアすること、つまり楽をして結果を手に入れることが常識となっているといいます。高い授業料を払って国家資格の得られる学部に通わせている親には、まことに気の毒な話です。

たしかに教育レベルは、100年前と比べると、はっきりと低下しています。
明治時代、日露戦争のとき、22歳で、農業に従事していた青年が、陸軍工兵二等卒という最下級の位で徴兵されました。
当時小学校6年卒の学歴しかない彼の手になる陣中日記が、司馬遼太郎の「坂の上の雲」で紹介されています。

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「午前八時ヨリ我兵発砲セリ。敵砲兵モ早ヤ、我ニ向カヒテ射撃セリ。
昼食ハ飯盒ノ飯ヲ食セントシ、出シテ見レバ、最早朝ノ厳寒ニ凍リテ小石ノ如クニシテ
食シ難ク、併シ夫レモ詮方ナク齧リテ終ルヤ否ヤ、野砲侵入路ヲ掘開スルトノ事ニテ、
器具ヲ携ヘテ目的地ニ着。此処ニハ砲兵連隊長殿ノ掩蔽アリ。」

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かつての日本では、小学校しか出ていない青年でも、これほど立派な筋道の通った文を、書いていたのです。
時代や教育の背景が異なるとはいえ、昨今の若者の日本語力は、どうかすると、日本語を学ぶ外国人にも及ばないレベルであったりします。

知識重視型教育に問題ありとされて、20年前にゆとり教育が本格的に取り入れられたといわれていますが、日本が第二次世界大戦で敗北して始まった戦後教育それ自体、実はゆとりある教育でした。
いわゆる六・三・三制の教育は、戦前の六・五制と比べると、はるかにやさしくなっているのです。
明治維新前の寺子屋教育に参加した人は、音・訓の漢字にカタカナ、ひらがなをあわせて3万字の読み書きができました。
これに対し、67年前に始まった戦後教育は、まず、やさしく変えられた漢字1,800字からのスタートだったのです。
日本語の本来の思考形式を十分に体験することなく、日本語と外国語の根本的なちがいに気づかないまま、異文化交流を形式的にとらえ、物を考える力のない日本人が増えてしまったのが、今の時代の実態です。