HEAL の 理由(1)

「癒し」がテーマの今年の日本女性心身医学会で、アナグリウス・ケイ子さんというアーティストの話を聞いた。
「アート・イン・ホスピタル」という耳慣れない言葉は、彼女がその仕事に従事し、庭園療法を学んだスウェーデンでは、よく知られたことのようだ。

若き日に、2年間を失語症患者として暮らした経験がある。
スウェーデンに、眼の見えない子や自閉症の子をアートで治している学校があると聞いて、24歳の時、1年ほど通った。
心ってなあに? アートがどんな心を表現するの?
そんな彼女が病院で仕事をするようになった。

作品の写真とともに語られたエピソードは、短編小説さながらに、眼に浮かび、胸に迫る。悲しかったらちょっと笑い、喜ぶ。
アートはそんな小さな道具に過ぎないという。人の目線の少し先に、小さないたずらのようにアートを配したことが、決して小さくはない変化を人に起こす。

〇天井に描いた枯れた葉っぱ
女性なら、産婦人科の台に身を横たえて恐怖や緊張を感じない人はいないだろう。その姿勢で目に入る天井に、シミがある。
彼女はそこに葉っぱの絵を描き、わざと失敗作のように、虫食いの枯れ葉を入れた。あれ? 何だろう?
そうして見ているうちに、恐怖の診察は終わってしまう。病院の患者の70%が天井を見、床を見、壁を見るという。
アートの出番がそこにある。

〇せんたく板アート
古道具屋で見つけたせんたく板に松ぼっくりをくっつけて、ペイントし、壁に飾った。80代半ばの車いすの女性が、それを見ていて、ふいに振り向いて言った。
「私は、このせんたく板で、いつもいつも主人の白い手袋を洗ったの。主人は海軍だったのでね」
何か月も入院している患者だった。毎晩眠る前の祈りはこうだ。
「どうか目が覚めませんように」
せんたく板に出会ってから、その習慣が消えた。
「あなた、おはよう。もう少しこの世にいさせてください」
ケイ子さんへの最高の褒め言葉だ。

〇壁に描いた赤い傘
病院の壁や天井はけっこう安普請。胃酸が飛び散ったシミなんかがついている。汚れを隠すために、小さな赤い傘の絵を描いた。
酸素療法をしている老女が、その前で30分以上も立って、ただ見ている。振り返った時の目の輝きとため息。どうしたの?
「楽しかったよ。あたし、空を飛んできたの」空、楽しかった?
「うん、青かったよ」
2か月も病棟から出たことのない患者だった。それでも風景は心につまっていた。

〇青いたる木
建築現場にたる木(垂木)と呼ばれる5センチほどの木の端切があって、よく捨てられている。それをもらってきて青くペイントしたら、
年輪が浮き出て美しい。それを、病院の壁に貼った。
40代の男性が、その前で嗚咽している。振り向いて言った。
「つくったのはあなた?」はい。
「俺は今、がんの告知を受けてきたところ。大工なんです。自分が今、いらないたる木になったみたいな気がするんだ。
なんで、がんで死んでいかないといけないんだ」
しばらくして、
「ありがとう。俺の捨てられた人生を絵にしてくれてありがとう」

ケイ子さんは語る。
「アートが一番必要なのは、精神科病院です。スウェーデンで、8年間、壁に飾ったアートをとっかえひっかえして、これに影響力があるのか、と疑問に思っていた頃、ある日、アートを取り去った時、暴力が増えて、発作状態が続く人が出た。
ひとりの女性患者は、叫んだ。『ないじゃないか!』ナースの胸ぐらをつかんで壁の前に連れて行き、もう一度『ない!』」

喫煙室の「喫煙」という文字がちょっとゆがんでいたりするのにも、人間らしいものを感じて、ほっとする。
布にガタガタの縫い目になってしまったものも、アートとして飾ると、「私の人生の糸目も、曲がってていいんだよね。
あなたがそれをアートとして人に見せるくらいだから」と感じる人もいる。