生活者に必要な日本語 「誰かの靴をはく」

よく行く映画館のスクリーンに、いつも「まもなく上映が開始となります」と表示される。「上映を開始します」とはせず、「詳細が発表となります」「発売が開始となります」のように、名詞を「が」でつないで「となります」をつけた文章が増えているように思う。

居酒屋で店員が「冷奴になります」とお皿を持ってきたとき、「冷奴になる前は? 大豆?」と、つい言ってしまうという人がいたが、母国語にそれほど注意を払わない人もいるだろう。

自分が日本語としっかり向き合うことが、誰かの生活上の困りごとの解消につながる人がいる。それは外国人に日本語を教える教師やボランティアである。

11月半ば、NPO法人にほんご豊岡あいうえおの主催で、おおさかこども多文化センターの安田乙世氏を迎え、多文化共生セミナーが開催された*。地域で外国人に日本語を教えているボランティアや教育関係者、多文化共生に関心のある人など、約50名が参加した。

兵庫県豊岡市の人口は現在約8万人(2019年11月)。うち約1%を中国人、ベトナム人、フィリピン人などの外国人登録者が占めている。当然、大人も子どももいるが、親子ともに日本語がわかり、使えるようになると、地域社会での生活は格段に楽になる。よって日本語を教えるボランティアには、日本語学習者の「生活」に配慮する視点が常に求められる。

一般に、言葉を習得するとき、「見る(読む)」、「聞く」、「話す」、「書く」という4つの技能が必要といわれる。自分が見知らぬ文化圏に身を置いた時のことを考えても、見聞きする文字や音声の意味がわからず、話すことも書くこともできない状況が、どれほど不便で不安か、容易に想像がつく。この日の参加者は、セミナーを通じて実際にこの不便を何度か体験した。

外国ルーツの子どもたちの中には、宿題をしてこない子や、やる気がなさそうで授業態度のよくない子もいる。その背景には、勉強ができる落ち着いた家庭環境の欠如や、親の都合で異文化間を繰り返し行き来する、3年経てば自国に戻ることが決まっていて学習意欲を持てないなどの事情がある。夏休みに親に連れられてディズニーランドに遊びに来て、そのまま日本の学校に転入させられても、それを避けられないのが子どもである。

漢字や音にむずかしさを感じる子どもや、縦書きの文章を読むのが苦痛な子どもがいる。漢字や英語がわかる文化圏の子どもでも、そこにひらがななどそれ以外の文字が混じると、読めなくなる。先輩には同級生と同じように話してはいけないと言われても、よくわからない。掃除の習慣やプールの授業を知らないなどの文化のちがいもあるし、日本で生まれて自国の文化に触れていないことから生じるアイデンティティの混乱、さらに発達障害が原因の場合もある。身の回りの情報を理解できず、言いたいことが表現できない苦痛は、大人より子どものほうが大きいかもしれない。

私たちも外国ルーツの子どもたちの状況を少しだけ体験した。映し出された文字を、ただ書き写す課題に取り組んだのである。ただしそれは中国語、ハングル語、タイ語、ロシア語で、ほとんどの人にとって、中国語以外の文字は不可解な形のマークでしかない。見た形をなんとか覚えては書き、また見て、を繰り返す視線の移動は、講師側からは首の運動に見える。日本語の文字を覚える子どもも大人も、それと同じ不可解に耐えている。

日本語のように見えるせいで、日本人だけが読めない書体もある(注1)。

支援者は、学習者が文字の形や音が覚えられないことを察して寄り添っていく必要がある。そのために相手の悩みをよく聴き、対話を重ねることは当然として、「日本語を外国人の目で外国語として眺める」ことが重要になってくる。具体的には、「そのまま伝えて相手が理解できるか」をいったん考えて、「できない」と思ったら即座に「やさしい日本語」に置き換える作業を行うのである。

「テストの結果にガーンとなって目がテンになる」ではダメ。

「こちらにおかけくださいますか」もダメ。

「台風襲来で本日学校は休校です」もダメ。

と、数々のダメ出しを自分に対して行い、やさしい日本語を模索していく(注2)。

文は短い単文とし、方言や敬語、慣用句を避ける。省略されている助詞を補うとわかりやすくなる時は助詞を使い、文意に関係のない言葉は取り除いた表現にする。

言い換えと同時に、言葉以外の工夫の大切さを知るために、参加者はまたゲームの課題に取り組んだ。目を閉じている間に、全員が背中に赤、青、黄、緑、白の丸いシールを貼られる。「言葉を使わずに、同じ色(アイデンティティ)の人どうしでグループをつくってください」と指示が出た。

自分で自分の背中は見えない。近くの人が、誰かの背中を見ては目と身ぶりで合図して、同じ色の仲間を引き合わせていく。面白いといえば面白いが、人の手を借りるために時間がかかり、もどかしい。「言葉が通じない」状況を経験すると、助けてくれる人がいる心強さもわかる。「自分のアイデンティティは自分ではわからない」(安田氏)という言葉で、誰もが人間関係の中で自分を知っていくのだと気づかされる。

子どもの支援において大人とちがう重要なポイントは、日本語の習得だけを目的にしないという点である。まず、何を言っても大丈夫、笑われたりしないという雰囲気をつくる。学習者は、リラックスできる居場所に身を置いてはじめて、安心して日本語を学ぶ準備が整う。小さなことでも自信がつくと、どんどん能力を発揮していくのが子どもである。支援者は、親以外の「安心できる大人」として、その子を困りごとと一緒に受け容れ、丁寧に話を聴き、一緒に問題を解決していく。

対象が大人に変わっても、その人がその時に困っていることに向き合う姿勢は同じである。時には、標準語だけでなく、日常で耳にする方言なども教え、相手が置かれた状況の現実に即したサポートを提供する。

 

相手の立場に立って、その気持ちを知ろうと努めることを、英語で”in someone’s shoes”(誰かの靴をはく)と言う。もし自分が相手の靴をはいたら、何を感じるか――支援者は、現実をしっかりとらえる能力を磨きつつ、自分の想像力も育てていかなければならない。

外国人の日本語学習を支援することは、言葉を介して文化の異なる者どうしが共に考え、学び、生活の場をつくる「協働」である。おおさかこども多文化センターも、にほんご豊岡あいうえおも、そうした協働を長年続けている団体として知られる。考え、学ぶ活動の継続は、今後さらに大きなネットワークとなって、各地に安心な居場所を確実に増やしていくはずだ。居場所を得て力を取り戻す人も、居場所づくりを支える人も、対等に新しい価値を共創する仲間なのである。

 

*講演タイトル:外国にルーツを持つ子どもたちを地域でどう支えますか――子ども×「やさしい日本語」× 日本語学習支援(NPO法人おおさかこども多文化センター理事/日本語教育支援G「ことのは」副理事長 安田乙世先生)、主催:NPO法人にほんご豊岡あいうえお、2019年11月16日

(注1) Hey guys can’t you read this sentence?  Why can’t .Cause you are Japanese.

(注2) 「テストの点が悪かったので、がっかりしました」「ここにすわってください」「台風が来たので、今日学校はお休みです」などと言い換える。

※NPO法人おおさかこども多文化センター http://okotac.org/

※NPO法人にほんご豊岡あいうえお http://www.eonet.ne.jp/~aiueo-nihongo/index.html