ドイツの子どもの庭としつもん――正解はいつも心の中にある

4月11日の木曜日、「しつもん家」のマツダミヒロさんたちがドイツで見学した幼稚園についての報告会があった。
幼稚園(キンダーガーデン)発祥の地であるドイツでは、幼稚園で子どもたちにしつもんの授業を行っている。

「天使って何?」などといったしつもんに答える子どもたちの姿を実際に見てきたところ、行われていたのは哲学の授業だった。
ドイツには、哲学の授業を推奨している「子どもと哲学を考える研究所」があり、その授業ができる先生の育成も行っているという。

「話すことができるためなら、何でもするわ。火の上を歩く以外はね」
――5歳の女の子にこう答えさせたのは、「1日中話をしてはいけなかったらどうかな?」というしつもん。
その日は、「言葉」をテーマに、先生がしつもんし、子どもたちが答える日。
やりたい子が集まり、答えたい子が答える。

哲学の授業が行われるスペースのレイアウトや飾りつけは、子どもたちが考えて決める。
テーマを考えて書いた紙を入れておく瓶もある。もちろんしつもん形式で。

そのスペースに入ってきた子どもたちは車座になり、とても静かに授業が始まる。
いろんな色の毛糸を集めてつくったボールがあり、そのボールをもった人だけが話してもよいというルールがある。
先生も含めて、ボールをもっていない人は、黙って聞く。
なんとシンプルですぐれた道具だろうか。

哲学といっても、特別にむずかしくはない。
「運動をするときにからだを動かすのと同じように、考えるときに、頭や心を動かす」のだ。

「自分は話せるけど、ほかの人がしゃべれない1日があったら?」
「どこかに言葉のない国ってあるかな?」
「ほかの言葉を習うことは楽しいかな?」
「木が木って決めたのはだれ?」
など、いろんなしつもんに、毛糸玉を手にした子どもがひとりずつ、思い思いの答えを発表する。
その日、報告会を聞きに集まった私たちもやってみた。しつもんの意味をどう受け取るかによっても、さまざまな答えが出て楽しかった。

授業を行うためには、ある種の訓練を積む必要がある。
しつもんを行う教師の心得は3つ。
1.答えはぜんぶ正解
2.ニュートラルに受け止める
3.答えなくてもよい
みごとにミヒロさんの姿勢と一致している。

子どもが何をしているかではなく、心の中にあるものを引き出すために、しつもんの授業はある。自分との対話の時間だ。

答えを述べた子どもは、みな同じように「ダンケ(伝えてくれてありがとう)」と言われ、否定も肯定もされない。
自分が尊重され、受け入れられている安心感から、リラックスして物を言うことができる。
あるいは、ぼーっとしていてもいい。

今回、ミヒロさんのドイツ行きの同行者のなかから、3人の女性が登壇し、印象を語った。
日本とはあまりにもちがう保育園の様子にまずショックを受け(0歳から6歳までが同じ部屋で過ごす、その部屋に果物とナイフがある。階段が石。おむつを替える台には小さな梯子がついていて、子どもが自力でのぼる)、しつもんの授業を見学して生き生きと心を動かされたコメントがどれも素晴らしかった。

「ニュートラルでいることはむずかしい。子どもが何か素敵なことを言ったとき、『いいね!』と言いそうになる。
しかしそれを口にすれば、子どもが『いいね!』と言われるような答えを言おうとするかもしれない」
「子どもたちが、自分のペースで自分自身の答えを発見したとき、顔がピカッと輝く。
嬉しいとか楽しいという表情とはちがう。帰国して実践して、子どもの顔がピカッとなった瞬間は嬉しかった」
「楽しくないことを楽しくないと表現し、それを認めてもらえる場」
「自分で自分を発見してしく過程。子どもたちは自己表現を楽しんでいた」

45分の授業は、まとめもなく終わる。
ただし、「その日の授業がどうだったか」についてのいくつかのしつもんに、子ども自身が「よかった」(親指を上に向ける)、
「よくなかった」(親指を下に向ける)というジェスチャーで自己評価する。誰に遠慮もいらない自分軸の評価だ。
よくも悪くも「評価」に振り回されてしまうことの多い日常で、大人も同じように、ありのままの自分になれる時間を確保すべきかもしれない。
「しつもん」の時間は考える時間。不思議なパワーを与えてくれる。