朝、起きるということ

先週、久々に後閑容子先生にお目にかかった。先生が岐阜大学に在職中、保健師の教科書づくりでは大変お世話になった大恩人である。関西の摂南大学へ移られて1年。楽しい食事の途中、話題は前にも伺ったことのある学生時代のモーニング・ケアのことになった。

今からもう四十年あまり前のこと、聖路加大学の看護学生は、ほとんど毎日、朝7時から8時の間、病棟へ赴き、各自がひとり受け持っている患者さんのモーニング・ケアを行うのが決まりだった。

「モーニング・ケアは、トイレへの介助、ベッドメイキング、ベッドバス、洗面、整髪などを行って、患者さんが気持ちよく朝を迎え、一日をスタートできるようにケアすることです。
夜間の状態を把握し、眠れたかどうか、からだの状態はどうかなどのフィジカルアセスメントを行う機会でもあります」と、懐かしそうに語る後閑先生。

モーニング・ケアは、まず、部屋のカーテンを開けることから始まる。
窓を開け、空気を入れ換え、新しい一日の始まりを一緒に確かめる。
長い夜を過ごして迎えた朝に、「おはようございます」の挨拶とともに訪れるナースは、病床の人にとって、待ち遠しい太陽のような存在であっただろう。
モーニング・ケアを通してナースが学ぶ大きなことは、患者との人間関係の構築でもある。

「ケアの内容はいろいろで、自立している患者さんには、ケアの一部のみを行ったり、挨拶をするだけだったりもしましたが、学生が受け持つ患者は、たいてい何らかのケアを必要としていたので、モーニング・ケアは私たちの毎日の日課でした」

当時は、ナース全員でモーニング・ケアを行う時代であった。朝7時に出勤する日勤の人たちが、夜勤の人たちと一緒に必要なモーニング・ケアをしていたという。
「シャワーができない患者さんには、毎日、ベッドバスをしていました。
寒い冬は、ウォーマーで温めたシーツを使ったり、ナースは忙しかったのですよ」

なんでもないような生活の中の動作のひとつひとつが、一日を新しく始めるための大切な区切りになる。
「、」や「。」がなければ、文章もどこが頭か尻尾かわからないように、一日のストーリーにも、句読点が必要だ。モーニング・ケアは、生活のリズムをつくる句読点の役割を果たしている。

病気ではない健康な人でも、疲れ果てて倒れるように眠りこんだ週末、カーテンを閉め切った部屋で食事もとらず、ただただ寝て過ごせば、月曜の朝はいちだんと重苦しい。
「だから、どんなに疲れていても、夜更かししたとしても、朝は頑張って起きるの。
そうすると、ちゃんと一日の終わりに眠くなってぐっすり眠ることができるから」。
人間のからだには、もともと規則的なリズムが備わっている。そのリズムを取り戻すチャンスが朝の時間にあるのだ。
そして重要なのは、モーニング・ケアのあとにとる朝の食事。
「朝食をとると、それが朝のひとつの区切りになるのです」

昨夏、日本うつ病学会が、軽症のうつに対して安易に薬を処方しないようガイドラインを改訂した。
生活リズムの乱れから起きるうつ状態なら、薬より生活指導のほうが効くという。
睡眠の質を悪くするアルコールを控え、睡眠相がうしろへズレこむ原因の夜更かしをやめるだけでも、睡眠が正常に戻り、日中の精神状態が改善される。
医療に占める食事や運動、生活リズムの是正などといった「ケア」や、昔ながらの「養生」の重要性は高まるばかりだ。

モーニング・ケアを行う看護学生は、病棟の患者さんのリズムをつくりながら、自分自身も自然とそのリズムを身につけることになる。実践の威力である。
看護の何たるかの毎日身をもって確認することで、知識や技術は血の通ったものになる。
自分の手で相手のからだに触れることで確かめられるものがたくさんあるのだ。

どこかで読んだ、新しい一日のための言葉がある。
Today is the first day of the rest of my life.

朝起きて、カーテンを開けて日差しを入れ、風を入れる。
当たり前のような小さなことは、思いがけないほど大切な朝の儀式なのである。