死は誰のものか――映画「眠れる美女」を観て思うこと(2)

もし、あなたが、突然倒れて呼吸が止まったなら、ただちに心肺蘇生の救急処置がほどこされる。
気道がふさがらないような姿勢にして人工呼吸を行い、次に心臓マッサージ、AED(自動式体外除細動装置)によるショック療法が基本だ。
さらに状態を見て、栄養成分を補う点滴や人口呼吸器による呼吸補助が加わる。

こういった処置はあくまで救急的なもので、人工呼吸なども、状態が回復すれば不要になるはずのものだが、難しいのは長引く時である。

『大往生したけりゃ医療にかかわるな』(幻冬舎)の著者・中村仁一医師は、病院での延命治法をはじめから受けないために、
「自分が倒れても救急車を呼んでくれるな」と、日頃から周囲に明言している(注1)。一度受けてしまえば、いつまで続くかわからない処置に対して、
家族が「やめる」というつらい判断を下さなくてすむように、というプロの配慮である。
もちろん、70歳という自分の年齢を考えたうえでの言葉である。

こういった宣言は、「事前指示 (advance directive)」とよばれ、よく知られているものに「リビング・ウィル(尊厳死宣言書)」がある。
尊厳死協会では、「現代医学では治療が不可能で、既に死期が迫っている場合」と断ったうえで、延命処置をしないこと、
必要な苦痛緩和の薬物処置を行うことに加え、「回復不能な植物状態になった時」は、生命維持装置を取り外すことを希望する書式がある。
これに自筆で記入することが、尊厳死(注2)を宣言したリビング・ウィルの表明となる。

エンディング・ノートの類にも同様の欄はあるが、重きが置かれているのは財産・相続・葬式・墓・自分史・家族へのメッセージなど、
どちらかといえば死んだあとのことで、終末期医療や死に方については、ほとんど書く欄がない。
唯一この内容を具体的に記入できるものは、おそらくEDITEXが出版している『受けたい医療を家族に伝える ~ 医療のためのエンディング・ノート「私の生き方連絡ノート」』だけである。

8割の人が病院で死ぬ時代にあって、これを書いておくことには大きな意味があると思う。
このノートでは、医療を、脳卒中や事故などの「急性期」と、長期の闘病の「慢性期」にきちんと分けている点も親切である。

常識的に延命治療の中止(注3)が認められる条件として、①回復のみこみがなく、数時間から数日以内に死が迫っている、
②死以外にはその苦痛を終わらせることができない、③本人の意思が確認できていることなどがある。
突然の事態であれば、③の確認が難しいことも多いだろう。また、本人の意思で「延命処置を望まない」とされていることが、
救急医療にかかわる人たちに大きな葛藤を強いることもある。
いくら本人の希望とはいえ、救急処置をほどこせば助かる目の前の人に対して、自分にできることをしてはならないと
言われることは、現場の医療者には割り切れないことにちがいない。

終末期医療について、厚生労働省のガイドラインは、医療やケアに携わるチームや家族の話し合いのもとに、
最善の医療とケアをつくり上げる中で、延命治療を中止する選択はありうるとしている。
しかし、リビング・ウィルには法的な効力がなく、過去に、東海大学と川崎協同病院において、延命治療を中止したことに対し、
医師が刑事罰に問われるケースもあった。日本の医療現場では、諸外国のように十分に法的な論議が尽くされているとはいえない(注4)。
2005年の川崎協同病院事件で罪に問われた医師も、家族の希望を汲んだ処置を行っただけで、何ら悪意などない。
それ以前に、最善を尽くしても避けることのできない事態に遭遇するのが医療の現場である。
人の死を前にして下される判断に、唯一絶対の答えなどないであろう。
最善の利益について家族と話し合いを持ち、ともに考えることで、医療者の立場も守られていなければならない。

(注1)救急の場合や終末期に入院しないという事前の意思表示のことを、DNH(Do-not-hospitalized order)という。

(注2) 「尊厳死」とは、患者が望む平穏な形の死を意味し、医師が積極的な医療行為で患者の希望に沿う「安楽死」とは区別される。

(注3)DNAR(Do not attempt resusitation)という言葉が、以前のDNR(Do not resusitation)に代わって使われる。

(注4)諸外国の法的論議
〇英国では、1993年、植物状態のトニー・ブランドの生命維持処置打ち切りを認めないという判決が下されたほか、2001年、筋委縮性側索硬化症(ALS)のダイアン・プリティが安楽死を希望し夫に自殺幇助を求めたことに対し、不許可とした。
〇オランダでは、2002年、「要請に基づく、ベルギーでは、第三者の幇助を得て自殺することが認められている。
〇米国では、1976年、植物状態のカレン・クインランの延命中止を認めているほか、1994年、カリフォルニア州が自然死法を制定、末期および植物状態の患者の意思によって、医療者の延命治療中止を行った場合、制裁しないとした。オレゴン州では、1997年、尊厳死法が成立している。

(参考文献)
1) 中村仁一:大往生したけりゃ医療にかかわるな.幻冬舎,2012.
2)厚生労働省:終末期医療の決定プロセスに 関するガイドライン (2007)
3)クリスティアン・ビック:安楽死と生命に対する権利:ダイアン・プリティ事件,2005. www.med.osaka-u.ac.jp/pub/eth/OJ4/byk.pdf
4)クリスティアン・ビック:尊厳死と安楽死:ヨーロッパの比較アプローチ.
www.med.osaka-u.ac.jp/pub/eth/OJ6/byk.pdf
5)児玉知子:終末期医療における法的枠組みと倫理的課題について.J. Natl. Inst. Public Health 55:2006; 218-224. http://www.niph.go.jp/journal/data/55-3/200655030005.pdf