3 心の転換は、どうしたらできるか

心の転換の必要性を頭ではわかっていても、どんな人も、そう簡単に心を転換することができません。
子どもの頑固な「おねしょ」を治したいと真剣に願うお母さんたちも、もちろんその一人です。
私がおすすめした方法は、次のような言葉を唱えるというきわめてシンプルなものでした。

「信じなくてもよいですから、次の言葉を今日から毎日、ひたすら唱え続けてください。

ありがとうございます。
これで、うちの子の『おねしょ』は、ようやく今、治していただくことができます」

藁にもすがる思いのお母さんは、はじめはきっと半信半疑でしょうが、この言葉を一生懸命唱え続け、そうすることによって、わが子の「おねしょ」が治るということを実際に体験されました。

これを私がすすめるに至った背景について、種明かしをしましょう。

「般若心経(はんにゃしんぎょう)」、詳しくは「般若波羅密多心経(はんにゃはらみったしんぎょう)」という有名なお経があります。おそらくみなさんもよくご存じでしょう。このお経は、わずか266文字の短い仏教の経典のひとつにすぎませんが、この中には、「般若波羅密多」という仏陀の説かれた非常に深い智慧が述べられています。

「般若」という言葉は、サンスクリット語の「パンニャー」を漢字に訳したもので、私たち凡人の考えを超えた仏陀の智慧を表しています。「波羅密多」というのは、同じくサンスクリット語で「パーラミター」で、「彼岸(ひがん)=川の向こう岸にわたること」を意味します。したがって、「般若波羅密多」とは、「向こう岸にわたる智慧」のことです。向こう岸の「彼岸」に対して、川のこちら側を「此岸(しがん)」といいます。

川の手前の「此岸」は、人生でなかなか解決できない難問に直面して、私たちが身動きもできず悩んでいる状態を指します。難問が生まれる原因は、仏陀が「苦」といわれた人生そのものにあります。「苦」とは、ただ単に苦しいという意味ではありません。人生においては、生まれてくることも、生かされることも、そしてやがて死んでいくことも、本来、私たちの自由にはなりません。思い通りにならない人生で、私たちは多くの難問に出会い、苦悩することになります。これが、私たちの存在する「此岸」なのです。

ところが、「彼岸」にわたると、そこでは私たちを苦しめてきた難問は解決され、私たちは苦悩から解放され、喜びの状態になります。これを別の表現で「涅槃(ねはん)」ともいい、「煩悩の状態から解放される」という意味があります。つまり、「彼岸にわたるための仏陀の智慧」は、「涅槃の境地に至るための智慧」ともいえます。また「涅槃」といっても、たくさんの種類があり、いろいろなレベルの難問の解決があります。
「頑固なおねしょ」に親子ともども悩まされている状態から解放されることも、一種の「涅槃」なのです。

「般若心経」というお経が、首尾一貫して繰り返し述べている仏陀の智慧「般若波羅密多」は、経典の末尾にはっきりと示されている通り「呪(じゅ)」です。「呪」とは、サンスクリット語でいう「マントラ」すなわち呪文のことですが、仏陀自身も唱えている「心呪(しんじゅ)=心安らぐ呪」ともいわれ、深い意識に支えられた言葉です。

「般若波羅密多」という言葉は他のお経にも登場しますが、「般若心経」の中の「心呪」はまさにこの「般若波羅密多」であり、私たちはこの智慧を人生の難問解決に役立てることができます。「般若心経」とは、「心呪」を活用して「苦」を解決することを、真実まことのことであり、「虚ならず(嘘ではない)」と、
宣言しているお経なのです。

「般若心経」の中では、「心呪」の内容は、次のように述べられています。

羯諦(ぎゃてい) 羯諦(ぎゃてい)
波羅羯諦(はらぎゃてい)
波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい)
菩提薩婆訶(ぼじそわか)

この意味は、

わたった わたった
彼岸にわたった
皆 一緒に彼岸にわたった

ということです。これを、さきほどの「おねしょ」のケースでいえば、

治った 治った
頑固な「おねしょ」が 治った
皆 一緒に解決した
解決しきって とてもめでたい

ということになります。

これを私は少しアレンジして、仏陀の「心呪」に感謝の気持ちを捧げながら

ありがとうございます
これで今 うちの子の「おねしょ」は、
治していただけます

と、唱えることをすすめたのです。