奇妙なニュース

この春はコロナだけでも気が滅入るのに、マスメディアがいろいろ報じるのでやきもきさせられる。「憲法改正許すまじ」の勢力が、何でもかんでも現政権批判のために共闘するやり口には、うんざりだ。

「#検察庁法改正案に抗議します」のツイートが何百万だか千万だかに達したとして、大きな圧力になっている。人数とツイート数はまったく別のものであることを曖昧にしたまま、これを「国民の声」と報道するのは公平とは言い難い。

何かあると、ある一定の時間帯に雲霞のごとくこの種のツイートが発生するのは、いかにも組織的な工作とわかる。今回の件は、私など調べてもなかなか理解できないところ、多くの人が自分の判断と意志にもとづいて発信したとすれば、その人たちの知性とこの問題への関心は相当高いにちがいない。

しかし、実態はなんとなく同調しただけの人も多いのではないか。仕掛け人の可能性を考慮してもよいはずだが、メディアは完全スルー。与党のスキャンダルには大騒ぎして、とうにバレている野党議員らの危ない人脈は取り上げない。いつものダブルスタンダードなのだ。しかし、何のためだろう。

いつかの首相動画に対して、「反対意見を一斉削除。権力による言論統制」と大騒ぎするジャーナリストたちがいた。ちゃんと調べてからの発言かどうか、はっきりしない。当の動画サイトが「スパムメールを削除した」と説明すれば、「権力による火消し」と断じ、常に正義は自分と威張っている。まず、確認したことを示してから発信するのが筋だろう。

SNS社会では簡単に嘘がまかり通る。「1ツイート2円、何度でも可」というアルバイトもある。我もわれもとハッシュタグをつける無責任なおっちょこちょいばかり製造しても、社会はよくならないことは、子どもにもわかる理屈だ。そして、嘘か本当かわからないことも、大量に繰り返し見聞きすると、本当らしく思えてくる。それが洗脳だ。

本来公正であるべき職業の人が、明らかな虚偽に加担し、人を冤罪に陥れたり、日本の国際的名誉喪失に動く現実がある。なぜ、そんなことが起きるのだろう。彼らの使うキャッチフレーズは、一見美しく非の打ちどころがない。しかも困っている人には親切である。うっかり信じるのも無理からぬことだ。

とはいえ、物事はけっして額面通りに受け取るものではないと、大人になる過程で、多くの人が失望とともに学ぶのではないか。人生にかすかな期待を捨てきれないハイミスは、結婚詐欺師のカモになる。傍目には愚かに見えても本人は真剣そのものだ。それに似た笑えないできごとが、案外毎日起きているかもしれない。

今回、いろんな人の反応を見て、そう感じた。