音 緒 じぶんの ねいろを 文字にする

音 緒
引き出しの多い医者がおもしろい

医学の専門誌や書籍の編集に携わったことがあります。病気の名前などの固有名詞ももちろんむずかしいのですが、それ以外に「機序」「予後」「寛解」「増多」「一過性」など、耳慣れない独特の言い回しが出てきて、日本語離れした文章のオンパレードに頭が痛くなるたぐいのものです。

考えてみれば、医者は、ある種の業界用語で学生の頃から勉強してきて、いざ現場に出たら相手は素人。専門用語のままでは通じません。なかなか大変です。機転のきく医師なら、かみ砕いて話してくれますが、中には相手がわからないことに気づきもしない人もいて、患者の不興を買っています。

編集者にも変な人がいて、難解なものに携わっていることが高級な仕事であると勘違いしたり、お経のように有難がったりしています。むずかしく書かれたものが立派なものかというと、必ずしもそうでもないのですが、そこは大学の名前や教授などの肩書が物を言い、ひと文字どころか句読点をいじっても叱られるケースは多いので、読者の理解に配慮しない残念な本もけっこう出ています。医学と医療にはなんだか隔たりがあるようだとずっと感じてきました。

そのような選民意識の持ち主は、一般人が読む健康雑誌や健康書を頭から馬鹿にして、読んでみたりもしないので、悩み多き患者とのギャップは広がるばかりです。もちろん怪しい本もあれば、しっかりした内容の本もたくさんあります。最近は、医者自身が、以前は怪しげで取り扱い注意とされてきたテーマを積極的に取り上げたり、いわゆる代替医療も偏見なく取り入れて、きちんと成果を上げ、一般人に好意的に迎えられていることを、賢い患者たちはよく知っています。

もしも、専門に埋没せず、総合的に人のからだをみる能力があり、ワンパターンでない診療をしてくれ、人の気持ちもよくわかり、話もわかる、という医者がどんどん増えてきたら、どんなに嬉しいことでしょうか。大多数の医療のプロは、医師も看護師も激務をこなし、誠実に患者に向き合っています。医者自身による医学批判、医療批判も読み物としては興味深いのですが、どの程度患者のためになっているかは疑問です。それより、現代医療に問題があると感じるならば、そう感じる医者こそが柔軟な医者を育てるべく動いて、それをアピールしてくれたほうがずっと希望がもてますが、それがむずかしいので、一石を投じて終わっているのかもしれません。

いきなり大病院へ行かなくてすむように、プライマリケアに携わる総合医を育てようという機運も高まりつつあります。大いに賛成です。身近なところに、患者の多種多様な状況に対応できる医者がいてくれれば心強いものです。大病院ではないからこそできるユニークな診療もあるでしょう。

それを可能にするのは、やはり、その医者がどれだけ柔軟に患者のからだや心の状態をみて、それに合わせて診療できるかという引き出しの多さです。同時にそれは、医者自身の人間への興味や探究心と深く関連しています。腕のいい医者には、それだけの理由があります。

人のからだは不思議なもので、明らかにその臓器が痛んでいるのに数値が正常であったり、数値が変でも本人がきげんよくピンピンしていたりします。データだけをみて決まりきった治療しかしないのでは、そんなケースに対応できません。そもそも私たち自身、自分のからだの声に耳を傾ける方法がよくわかっていないかもしれません。そんなヒントも、引き出しが多ければ、どこからか出してくれるはずです。

このコーナーでは、柔軟に物を捉え、患者から謙虚に学ぶ姿勢を忘れない先生方にご登場いただき、日頃の診療を通じて得られた医療や健康、人のからだの見方について語っていただくことにしたいと思います。  伸枝

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