HEAL の 理由(2)

引き続き、日本女性心身医学会でのアナグリウス・ケイ子さんの講演より。

ケイ子さんは、ある時、骨肉腫で緩和ケア病棟に入っている女性に、庭で育てたペパーミントをもっていった。宣告された余命はわずか2週間。
日本では根のついた植物は嫌われるが、根を生やすと植物は酸素を出す。

「コップに水を入れてその中にミントを入れると、根が出ますよ」と言って渡した。
そうして末期がんの彼女は2年を生きた。もちろんそれがハーブの力とだけは言えないが、ケイ子さんとは何十通ものメールをやりとりした。

「癒し」という言葉は、苦痛からの解放を意味し、英語ではcomfortやhealingで表す。
Healには、「治る」「回復する」の意味もあり、health(健康)の中にhealが含まれている。治るという働きを含んだ状態を健康と呼ぶ。
なぜ治るのか、説明のつかないことが、しばしば現実に起きる。医学教育では病むことの理由を学んでも、人の生命のもつ「治る」という働きは、
少なくとも唯物論では解明できない。

「ドクターは治す人。家族は支える人。何が『癒し』なのかわからないけど、『癒す力』と『癒される力』のバランスがあるように思うのです」

ケイ子さんは、講演を聞いている聴衆に、一枚の絵を見せる。ピンク色に塗られた背景に、何も入っていない白いカップがぽつんと描かれ、手前に赤いさくらんぼをのせたスプーンがある。それぞれバラバラに存在している。カップはからだ、さくらんぼは心。
このさくらんぼが、カップの中におさまると、本来のバランスが回復されるというイメージ。
心とからだのバランス、五感の働きが崩れた時、回復の訓練をするものは庭園療法であるという。

五感を駆使して学ぶ。とくに味覚。この訓練が大切。
ストレスがたまったら料理をしよう。四六時中頭から離れない病気も、料理の段取りをしていると忘れることができる。
15分間だけ庭の音に耳をすませてみよう。心が解きほぐされる。自分に備わったhealの力を、自然が思い出させてくれる。

大阪にある阪南病院は、精神科医療で有名だ。ケイ子さんは、そこに10人で満杯になる小さな小屋をつくり、ナースたちに絵を描いたり、粘土をしたり、料理をしたりといった訓練をした。はじめは不評だった。なんでこんなこと、させられるの?
それが半年で待ち遠しい時間に変わった。10人が庭園療法士の資格を取得するまでになった。京都の亀田医療大学でも、ナースの卵に絵を教え、遊びの中でいろんなことに気づかせている。

今の看護教育の中には、家庭的な教育が含まれていない。
「看護とは、新鮮な空気、陽光、暖かさ、清潔さ、静かさを適切に保ち、食事を適切に選択し管理すること――こういったことのすべてを、患者の生命力の消耗を最小にするように整えることを意味すべきである」というナイチンゲールの『看護覚え書』の言葉など、国家試験には出ないのだ。

最後に、ケイ子さんが会場の聴衆にもう一枚の絵を見せた。先に見せたカップの中に、さくらんぼが満足げにおさまっている。
それだけでそこに調和が生まれる。
小さなものに力をもらって、癒されていこうとするのは、いつも自分自身の内なる力なのではないか。