音 緒 じぶんの ねいろを 文字にする

音 緒
美しい肌(2)

○アイドルの進路
宝塚音楽学校の卒業は、歌劇団に入団するのと同じ意味です。そして卒業式と入団式が同日に行われるので、卒業の余韻にふけるよりタカラジェンヌになる喜びと期待で胸いっぱいではないでしょうか。この日は、ここまでこられた自分のがんばりをちょっと自慢に思い、これからもやるぞと気合を入れ直す記念すべき日です。

一方AKBは、次のステップがないので、卒業イコール退団です。オーディションを受けて入ったプロのアイドル集団の企画に参加して、辞めるという意味です。辞める人の胸の内はおそらく、「AKBの活動で十分に勉強させてもらいました。ありがとうございます。この経験を無駄にせず自分の道を険しくても切り開いていきます」――そして彼女らは、苦しかったことや楽しかったこと、仲間に助けてもらったことなどを思い出し、胸がいっぱいになります。ついにそれまでがまんしていた涙がこぼれ――という場面を想像してしまい、明るい未来より少々寂しい幕引きです。

こんなことを考えているからか、この夏卒業した大人気のアイドル前田敦子さんの先行きを、ファンでもない私が、「どうするのだろうか、これから」と思い、かわいそうな気分になってしまいます。先が見えない状況は、人間を不安に落とし入れます。前田敦子さんにも、不安はあるはずです。本人にとってこの選択は得なのでしょうか。彼女はまだ若いし、踊りと歌は力をつけていても、芸能界という大きな海に一人で出て行って大丈夫とは思えないのです。このCDの売れない時代に、彼女は先頭に立ってセンターでがんばって、総選挙だ、握手会だとCDを売ってきたのです。脱退は円満にできたようで、その上卒業公演もして華々しく辞めていますが、実際のところはどうだったのでしょう。

○十代で大切なこと
最近感じることですが、若さは、将来を見ないというのか、花火のような一瞬で終わる華やかな生き方になんの躊躇も抱かないものです。努力をして忍耐強く取り組む、これからに役立てるための経験を積むという行動を見下しているとこがあります。特に十代は、良き大人、良き先輩のお手本がないと、本人はできると思っていても賢明な判断ができないので、この時期に関わる大人たちは、本来であれば、少年、少女が一人の人間として子供から大人になっていく過程を見守らなければなりません。大人にはこういう役割があると思います。

今回卒業した前田敦子さんは、よく過呼吸発作を起こしていたということです。過呼吸は、過激な運動によっても起こりますが、なにか悩みを持っている人に起こりやすく、心のストレスをなくさなければ、発作がなくなりません。中には、パニック障害の場合もあるので、彼女が本当に過呼吸発作をたびたび起こしているなら、簡単に考えず心の健康を取り戻すように生活を見直してほしいです。彼女の置かれた状況が重荷になっていた可能性も考えられ、客観的にはやめたほうが良かったともいえます。

AKBのメンバーは、集団で踊って歌っている時は元気ではつらつとしているのに、一人でテレビに出ている時には、受け答えの内容が貧弱でコメントを求められてうまく答えられないと、だんだん元気がなくなり表情が乏しくなる傾向があります。最近のテレビは画面も大きく解像度も良いので、些細な表情の動きも映し出してしまいます。

相対にAKBのメンバーは、表情が出にくく、笑顔が少ないです。若いのに肌にぴちぴちした質感のない人が多く、「ちょっと疲れ気味ですか?」と尋ねてみたいときもあります。若いだけでは、美しい肌は手に入りません。お化粧していてもごまかせません。食事、睡眠、心の安定。特に心のゆとりは大切です。精神的な安定は、皮膚の状態にはっきり表れます。

目が大きいだけでもいけません。生き生きとした表情を作るのは目です。知性が瞳の輝きとなって現れます。どんなにマスカラを塗り付けまつげをしても瞳は輝かないのです。年齢相応の、人としての常識が必要です。つまらなくても義務教育レベルの勉強はきちんとすべきです。吸収するのも早く、覚えたことが一生涯生き続けるこの十代の時期にこそ勉強をしてほしいです。何事も手を抜かずがんばってほしい大切な時期です。日頃子どもの精神医療に関わっている私は、このようなことを強く感じるのです。

○前田敦子というヒロイン
AKBを見ているとプロデューサーの秋元康さんの関わったおニャン子クラブのことを思い出します。突然の解散でメンバーのほとんどの女の子たちが芸能界に残れずに素人にもどった事件がありました。

さすがに今回のアイドルグループAKBでは、このようにならないため手を打っています。たとえ突然の解散が言い渡されても芸能界で生き残れるように、彼女たちの希望が失われないようしてあります。それは、AKBに合格してからそれぞれ芸能プロダクションに移籍するということです。

AKBに在籍中から、プロダクションの仕事もする――前田敦子さんもその一人です。そのため人気のある人は、忙しくてファンもなかなか会えないそうです。AKBで名前を売ることは、個人の宣伝にもなり、それ以上に芸能プロダクションの利益になります。AKBをこれだけ有名にした立役者である前田敦子さんは、貢献度も高く、辞められては会社にとって損失だと思うのですが、そうではない、卒業してもらったほうが得であると判断したのでしょう。会社としては、もう戦力ではない、この先の戦略に必要なしと前田敦子さんを切ったのです。私の勝手な解釈ですが、たぶんそうだと思います。彼女の卒業には、実はこのような劇中劇が仕込まれていたのです。

彼女はAKBの中でもうひとつの物語、前田敦子という物語のヒロインを演じました。AKBのイメージを作り、主人公の成長と夢をファンと共有し、ヒロインがアイドルの頂点に達したとき、物語は、最終章の卒業という場面を迎えました。この物語はヒロインの卒業で幕を閉じます。そしてヒロインは去っていくのです。とすると、ヒロインである前田敦子さんの脱退は織り込み済みであったとも言えます。

劇が終わって幕が降りればそれまでの興奮はおさまり冷静になります。あらためて考えてみますと、誰も損しなかったのです。前田敦子さんに対する企画は成功です。彼女も自分自身を演じ切り、アイドルの生き方を十分に体験しました。会社もプロダクションも大儲けです。すべてがうまくいき、めでたしめでたしです。

そして、私は、ひとつの事実に気づきました。それは、秋元泰プロデューサーの作戦にみごとにはまってしまったということです。AKBが音楽学校のようなものと思ってしまったのは、アイドルを夢見る少女の物語がそう導いたのです。やられたという気持ちがありましたが、私もこれでひとつ得したことがあります。それは、自分の錯覚と思考の流れを探る作業を通じて、思春期の子供たちの精神保健を考えることができたことです。アイドルの卒業劇ひとつ見ても、精神科医は、ころんでもただでは、起きないのです。

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